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桜並木に癒されて
ちむどんどんの風景
2022年07月03日
テーマ:テーマ無し
1975年夏の終わり頃
大阪南港から那覇行きのフェリーに乗っていた。
友達と二人
いろんな伝を頼って、今で言う民泊をしながらの貧乏旅行(笑)
那覇の港に着くやいなや米軍のつんざくようなジェット機の音、ベトナム戦争が終わったばかりで、かまぼこ兵舎が建ち並び街では米兵の運転するジープが走り回っていて声をかけられたりして怖かった。コザでは米軍基地のゲート近くに泊まった。通りには米兵相手の土産店が並び歌舞伎の絵柄の派手なガウンなどがウインドウに飾られていた。
夜になると通りからは英語の話し声が聞こえてきて泊めてくれた家の人からは、夜に出掛けたら危ないから絶対にダメと。
沖縄海洋博を見てから、実姉の姑が奥間の出ということで泊めてもらった。
朝ドラの<ちむどんどん>に出てくるようなシーサーが見守る家で村の親戚が集まり本土からきた小娘を、三線と歌と踊り、飲めや歌えの大宴会で歓迎してくれた。翌日、おじさんが車で辺戸岬へ連れて行ってくれた。返還前、ここが沖縄で日本に一番近く、ここで日本に返還されるのを願った場所だと。
この先やんばるの森は米軍の演習基地なので行かれない。おじさんは米軍基地で働いているから「仕方ないさぁ」と言っていた。
西表島へと那覇港から石垣島まで夜のフェリーで、混ぜご飯のような夕食付きだった。
寝ていたら船が揺れて頭からずり落ちたけど船酔いもせず到着
石垣島から竹富島、西表島へと西表島の民宿では玄関に、庭で捕まえたハブの焼酎漬がお出迎えでした。レンタサイクルでとうきび畑を抜けて南風見田の浜へ、帰りに猪を捕まえたおじさんに遭遇、猪は棒にぶら下がっていた。
翌日、浦内川を船に乗りマングローブを見ながらなカンピレーの滝を見に、そこでリュックを背負った二人の女の子に出会った。大学のワンダーフォーゲル部員で西表島を横断するのだとか、同い年なのに凄いなと、ハブに気をつけて頑張って横断してね、とエールを送りました。
当時の沖縄は車はまだ右側通行で米兵なども多く街で見かけ、いつもジェット機の爆音が響く日本であって日本でないような、ちょっと切ない気持ちになりました。
あれから二度、沖縄を訪ねましたが、行く度に街並みが本土風になってくような…
いつまでも残したい、残っていてほしい風景がありますね。
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