心静かに・時には疑問を

善光寺御開帳 

2022年06月16日 ナビトモブログ記事
テーマ:疑問

久しぶりのブログの更新です
 この間、あっちこっち、出掛けていました、その中で過去に達成出来ない事がありましたが今回ようやく完成できました「完成品」は最後に写真でアップします。
 確かに「御開帳」と成れば人々も多く参拝していました「回向柱」や「記念の御朱印」を貰う人々で長い行列です、私は常々に思う事有ります「神社・寺院」での御朱印です、本来は御朱印は参拝を済ませた後に参拝を終えたお礼「記念」に貰う「社印・寺印」と思う、確かに山門を潜れば参拝ですが、私が思うに本殿を参拝して初めて参列=参拝と思う
 帰り途中「参拝後」で来んなことが有りました「長野善光寺」で老人「女性」が階段を登る姿を見ました手押し車を右手に持ち、左手は手すりに、つかまり登っていました、確か階段は十数段ですが、誰一人として助けようとする人がいなかったが残念でした「手すりの」反対方向には回向柱へと向う人々で大勢の人達が列を成していたが、困っている人より回向柱に向かう方が大事なのかと言いたいよ、その老人に話をして聞くと家は近くで何時は境内の横を通り家に帰るそうでが、参拝をする人々の車が多く危険だから今日は境内を通り抜ける事にしたそうです、又、御開帳によって周りの人々にも色んな弊害も見られる、週末に成れば参拝の車が多くなり渋滞で近くの人々は車が出せなくて買い物や病院も行けないと言っていた。
 余談ですが主催者側に、あの老人「女性」の姿が、どう、写っているいるのでしょうか、、、老人からの、あ・り・が・と・う・の言葉が今でも聞こえて来る。
 私が特に言いたいのは「御朱印」です
  今一度、御朱印の意味を考えて欲しい「寺側」と「御朱印」を貰う人々に、来んなことがニュースで「法隆寺」では寺の維持費をクランドファンディングを通じて寄付を集め寄附金に応じて「限定の御朱印」を贈ると言っている、此処でも本来の意味は成してはいない様に感じる。
 
 八年越しの完成です「私の死に装束」にも成るかな、、、、
  表と裏です「裏」には、左から・長野善光寺・関善光寺・甲斐善光寺・右から・祖父江善光寺・岐阜善光寺・元善光寺です
 「妻」は未完成でしたが、今回は私が同様に完成させました「妻」の分はお墓に入れようと思います。
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