どうでも雑記

最後の捜索活動 

2022年04月04日 ナビトモブログ記事
テーマ:青春の回想

富士山遭難事故 7,最後の捜索活動

最後になった岳友Kの捜索活動は、その後も連日行われる。何度も何度も、ビバークした地点から雪崩のデブリの跡に沿って、手掛かりになる物が落ちていないか捜して歩く。
消えてなくなる訳でない、この冷たい雪と土砂の下に埋まっていることは確かで、この視界のどこかに必ずいる。
たまらなくなりスコップで雪面を掘ってみる、鉄のゾンデ棒を何千回と雪面に刺し込んだ。手袋が破れて血が滲んで赤く染まる。

会社はこの対応に、理解を頂き全面的な協力と休暇の承諾を得た。富士山まで車での通いが多かったが、捜索活動の応援者が多いときはテントに泊まり、感謝の気持ちで対応に追われた。

4月末、1ヶ月が過ぎたことを節目に、これ以上多くの方に迷惑をかける訳にもいかないことから、大掛かりな捜索活動を縮小することにした。そして捜索活動の継続をこの先どうするか、その判断が迫っていた。

雪崩れた大量の雪には相当量の土砂が混じり、雪面は融雪と共に黒い溶岩土砂と木の枝などで埋まっているため、捜索活動はより困難となった。

残雪は溶けても大量の土砂に埋まっていたら、見つけることは無理かもしれない。そんな気持ちになることもあったが、Kを見つけるまでは我々の活動は終わらない。仲間たちは皆、心の中でそう思いながら懸命に探し続けた。

5月に入ると四合目から下の森林地帯は新緑に覆われ、事故当時とは天地の差だ。ゴールデンウィークもあり、観光客がバスや車で捜索エリアを横断して新五合目までいく。ハイカー達が新緑の中を歩く姿を見かけるが、悲惨な遭難事故現場だと全く気付かないで歩いていた。

気温上昇と共に雪の溶けるのが早くなる。ますます木の枝や溶岩土砂が露出する。その中を、Kを見つけるきっかけになる残留物を探して隊列を組んで歩く。

短めのゾンデ棒、土砂混じりなので鉄製のスコップと、ツルハシ代わりにピッケルを持つ。距離があっても確認できるように双眼鏡を携帯する。

捜索したところが分かるように目印を付けながら歩く。雪解けで日々変化する地表に新たな残留物が現れることから、日毎に色分けした目印を付けて、捜索活動の効率と、捜索範囲の絞り込みを行った。

そんな中、ヘルメット・衣類・手袋等々の残留物を土砂の中から見つけ出すことができたが、Kの手掛かりになる物はなかった、あせる気持ちを抑える。

雪崩の流れた本流に沿った位置なので捜索ポイントとした。大量の土砂で手に負えないため重機の依頼をする。

重機と手堀を交互に進めていたその時、Kの衣類の一部が土砂の中から出た。一瞬、皆が言葉にならない声がでた、単なる布切れではなかったからだ。

見つかって良かった、辛かった、悲しい、悔しい、いろいろな思いが一気に沸いて力が抜けた。しばらく言葉が出なかった。

連休も終わり、雪はほとんど解けた5月の末、富士山二合五勺付近は新緑に覆われた林の中だったが、雪崩で大きく傷ついた山肌が露出していた、我々には春を感じる余裕はなかった。

(つづく)



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR





上部へ