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たかが一人、されど一人

読後感「占領神話の崩壊」西鋭夫 、岡ア匡史 著 

2022年01月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 著者西鋭夫氏については2年ほど前に古い友人から著書を貰ったりして知っていし、メールマガジンを読んだりはしていた。共著になっているが岡崎氏は西氏のお弟子さんなので助手の立場かもしれない。西氏はアメリカ・カリフォルニア州のスタンフォード大学フーヴァー 研究所の現役フェローの歴史学者。研究所を創立したフーバー大統領は日本では馴染みが薄いが、親日的で平和主義者だったと本書にあった。書名の通り、先の大戦後日本を占領したアメリカ軍は、終戦直前から日本政府や軍が意識的に大量に焼却したりして消失せしめた公文書などの歴史的文書の生き残りの収集に努めて保存。後にこれをフーバー研究所に寄贈かどうか、兎に角持ち込まれている。著者はこの膨大な資料をベースとして、日本で発行された様々な資料での考察も加え、マッカーサーによる占領政策の実態に迫った学術論文に近い読み物ととして昨年秋発売した。取り上げられている事件と内容は既に知られていることばかり。しかし関連する証拠文書がこれほど大量に公開されるのは初めてだろう。マッカーサーが戦後厚木飛行場に降り立ったのは昭和20年8月30日、占領軍総司令官の職を解かれて帰国したのが昭和25年4月とのことなので、こちらはやっと小学1年生位かな。GHQや総司令官マッカーサーの名前は知ってはいたが、意味は理解できていなかった。しかしこの5年間に日本で起来たことは現在に至るも極めて大きな意味を持っている。フーバー研究所に保存されていた資料から見えてきた事実は現在の認識と大きく異るところがある。事件の経緯にしても人物像にしても占領軍の認識は日本人とは大分違っている。その最大、或いは中心をなしているのは憲法の改正に他ならない。憲法は未だにマッカーサー憲法と言われているが、その成立経緯については、草案を25歳の女性が1週間で書いたとか、戦争放棄については幣原喜重郎首相が申し入れたとか諸説ある。マッカーサー自身が、憲法改正を任務の1丁目一番として急いだことが保存文書ではっきり分かる。占領軍と日本との憲法をめぐる会談のやり取りの記録が明らかにされたのは初めてではなかろうか。2月に行われた会談がハイライトかもしれぬ。米側責任者はホイットニー准将以下4名、日本側は吉田茂外務大臣他2名本書を一読して感じた最大のポイントは、生き延びた人間に依って書かれた自伝とか回想録が如何に嘘に満ちたもので、歴史を捻じ曲げているかだ。平和主義者とされる外務官僚の吉田茂氏にしろ白洲次郎氏にせよ、占領軍が全く異なる見方をしていたこと、彼ら二人が日本をアメリカに売ったとも言えることなど、或いは日本の政治家や日本軍が行ったことは、未だに国民に明らかにされていない恥ずべき行為が多々あったことなど、勘違いを直す必要がありそうだ。なまじ、登場する人々は既に伝記とか小説などで存分に知ったつもりの人が多いだけに余計始末が悪い。

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