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たかが一人、されど一人

真のエリート 

2022年01月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 身内の自慢になって恐縮だが、父は昭和14年内務省入省の官僚、同期の有名人には後藤田正晴氏がいる。しかし入省後インドネシアのバリ島に海軍所属の行政官として出征していたので戦時捕虜となって帰国が遅くなり、帰国した時には出征時に所属していた内務省は消滅していて、就職活動を余儀なくされた。結局は厚生省復員局からの斡旋で、長野県庁に商工課長で就職できた。小生が小学校に入学する直前のことだった。父はバリ島から一時帰宅したことは一度もなかったので、離別期間は足掛け5年に及ぶ。今日は個人的なことは措くことにして、専ら父のことを書きたい。父は上田中学から松本高校、東京大学と進み学生時代に司法官の高等文官試験に合格して、卒業してから行政官の試験にも合格している。今で言えば、司法試験と国家公務員総合職試験にも合格資格を持っていた。しかし中央官庁には現実問題として就職が出来ず、地方公務員にならざる得なかった。しかも時の長野県知事は林虎雄氏、社会党の政治家で年齢こそ父より3歳上だったが、父も面白くなかったろうが、林氏にしても同じことだ。従って本庁の課長から松本にあった松筑竹地方事務所長に転属(所謂左遷)されたりした。この頃の父の思いは訊いたことがないが、人生ではいろいろなことが起こるものだと思っていただろう。母は死んでいたかもしれない父が生きて帰ってきただけで満足だったのか、父の周辺の人には気を使い立派に内助の功を遂げていたと思う。父の影響から、今でも世の中は結局官僚が動かしていると思っている。これは国の政府であれ、自治体の政府であれ同じことだ。明治以来継続している日本の官僚組織は力は強力で、政権が変わっても、日本の場合官僚組織は殆ど変わらない。力の源泉は情報の集約と管理が徹底してることだろう。人事権行使が役人を動かす力の源泉と言う向きもあるが、それだけで官僚組織を崩すことは難しいと思う。時々訳の分からない省庁再編が行われても、本当は戦前からだろうが、仮に終戦後に限ったにしても、長くても10年足らずでいなくなってしまう政治家には真の行政改革なんて夢のまた夢だろう。先日岸田首相の原稿の読み方で書いたが、首相でさえ役人の書いた原稿の読み間違いに気を使うくらいだ。今中央官僚の士気が下がり、優秀な人材が集まらないこと、優秀な若手がどんどん辞めていく事実があるようだ。確かにこれは問題であり、なんとか方策を考える必要がある。誰が考えたか知らぬが、官僚も嘗てと違って給料も大分高くはなってるようだが、金に目先が眩むような人間は官僚には向かない。官僚の醍醐味は政治家を動かして国家を動かすことにあると思う。これこそ真のエリートの仕事の筈。父は残念ながらエリートたちを皮肉な目で見て茶化して生きていた。

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