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コミュニティについて考えてみた 

2021年10月17日 ナビトモブログ記事
テーマ:雑感

今、スマホなどからオンラインで繋がるコミュニティが盛ん
それらは企業の戦略やサービスに、個人個人がうまく乗った形だが、匿名性や距離感が、続けられる秘訣なのだろう

でも元々コミュニティって、住んでいる地域が基本
地縁から町内会組織になり、地域福祉に発展したが、それに徐々に違和感を覚え離れ始めた・・
なぜか?例えば、ボスになりたがる存在や飲み会と化する各種会合やボランティア参加の強制、時には慈善団体などへの寄付額での優劣意識など
もちろん地域社会が崩壊したのかといえば、そんなことはないけれども、地域のしがらみ以外、また働く人は職場以外で何かを模索し始めたということだろうか

日常生活を営む地域との関わりは外せない
けれども隣同士などのごくごく近所の付き合いというのは、既に一定のプライバシーを知り合っていて、もうそれ以上は関わり合いたくないな、という風になる

近年増えたシェアハウスはどうだろうか
これほど自らの意思で入り込む、他人同士の密接な関係もないものだが、既に欧米あたりではコレクティブハウス等早くから存在していた訳で、価値観を共にし生活の拠点をひとつにしながらも個々の個性は尊重する関係性を保ち合って成り立っている

今後コミュニティは一体どうなっていくのか
何が必要? 今のままで足りている?

SNSで満足できている?

例えば先日の、少し大きな地震があった時どうだった?

一定の親族には相互の安否確認のため、すぐに連絡を取り合った人が多いだろう
私がそうであったが、一刻も早く自分の無事を知らせたい思いで連絡をした
でも、何か物足りなかった人があるのではないだろうか
ブログなどにその時の様子や心情を発信した人もいるだろう
そして、それにコメントが寄せられれば共感や同意が得られたという人があるかも知れない
東日本大震災時には、絆という言葉が再認識されたが、今の私がそうであるように、都会に住む中で社会的に相互作用し合える絆、ってあるのだろうか

では例えばコミュニティサイトで、災害時などの時、安否や不安に思ったことなど意見を交わし合うような機能があったらどうだろう
一体誰に対しての発信?

それは、相互にフォローし合えるような「仲間」との関係の中であれば、こんなことがあったとか、こんなことで困っているだとかをリアルに語れることもあるのではないだろうか
それがちょっとした助け合いにつながるものにでもなれば、他にはないツールになるのではないか
それがいわゆる掲示板の機能なのかもしれないが、このナビトモなどを見ていて、分かち合える、助け合える部分の繋がりがもっと目指せればいいのにな、と考えた秋冷の日曜日でした



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きっかけと取捨選択ですね

TIさん

ジューンさん、こんにちは。しばらく冷えるみたいですね。
おっしゃる通りこういう場はきっかけ作り、機会を得るということですね。そこからは取捨選択の世界。友を得ることも可能かと思いますし、サークル活動を推進しているナビトモは面白い存在かもしれません。
ま、私はジューンさんからズバリご指摘のように、サークル活動はあんまり好きじゃありませんけどね(^^)

2021/10/17 12:22:24

先ずは、リアルな友だちに

ジューンさん

TIさん、こんにちは。
私も日本全国取材したわけではなく、あくまでも印象の話ですが、地震等の災害に対しては、いわゆる田舎の方々のほうが直ちに結束しているのかなと思います。日頃、うっとうしい位の関わりが、良いほうに反映することができるのではないでしょうか?私は中途半端な片田舎に住んでいるので、地域の方とは繋がりありません。
このサイトも、繋がりというよりも、情報収集程度、良くてメル友程度の繋がりで十分と考えている方がほとんどのような感触です。もし住んでいるところが遠くなければ、先ずは、きっかけがこういったSNSであっても、もっとリアルな友だちになって行けたら良いのにと、私は考えています。どこにも所属しないシニアなら、なおさらです。

2021/10/17 11:53:10

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