ひろひろ48

ある一生 

2021年10月14日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

コロナは陰謀で、ワクチンも陰謀で、人新世なんかない、地球温暖化も陰謀で、脱成長でネットもスマホもない1970年ごろの生活に戻るなんてありえないし、バカげているという人たちがいる。ま、まるでトランプ支持派みたいだが。。「進化論」も「地動説」も信じない人もアメリカにはいるのだから、、
それはさておいても、ほんとに真剣に生きることを、人類は考えないと地球がやばい状態になりつつあるのが、いまの時代。ほんとに生きるのに必要なもの、ことはなんだろう。よく言われて学校などでも学んだのは「衣・食・住」だったような。。まずは、水と食べるもの、電気を含むエネルギー、寝るところ、一緒に生きていける仲間に仕事。ほとんど家に、テレビ、洗濯機、冷蔵庫などがある。車も多くの人が持っている。着るものも捨てるほど持っている。世界中から資源を集め、「先進国」が得ている贅沢が、新自由主義で格差が拡大し、その先進国の中の貧困層では得られなくなっている。
すこし前の新聞のコラム「海外文学の森へ」の記事は、こんな生き方もあるってことを教えてくれている:
「ある一生」ローベルト・ゼーターラー著 by案内人 松永美穂
足ると知る体現する姿:
地球上には人の数だけ、さまざまな人生がある。知り合って言葉を交わす相手の数はたかが知れている。あとは新聞やテレビや本で、いろんな人の生き方に触れる。そのうちのいくつかが記憶に残るだそう?
オーストリアの作家・脚本家・俳優のゼーターラーがこの小説で描いたのは、アルプスの山間で一生を過ごしたエッガーという男のことだ。原題は「Ein ganzes Leben」でganz形容詞には、「全部の」「まるごとの」「完璧な」「みごとな」などのニュアンスがある。一人の男が生ききった、人生まるごと全部。派手さもなく、特にうらやむべき点もない。どちらかといえば不遇で無名の貧しい男の一生なのだが、読み終わると不思議な感動に包まれる。それはなぜなのだろう?
エッガーは幼くして孤児となり、義理の伯父に引き取られる。愛情を注がれることもなく、むしろ虐待されて育つのだが、やがて自立し、自分の体一つで食い扶持を稼いでいく。最低限の教育しか受けておらず、虐待のせいで足に障害も残るけど、逞しく、我慢強く、しっかりと働き、小さな土地を借りるだけの金をためることもできる。
舞台となっているのは20世紀前半のオーストリア。エッガーは成人してからも不幸に見舞われるが、自己の運命を受け入れ、与えられた生を全うする。地味ながら潔さを感じさせるその生は、権力者や金持ち、スターやスポーツ選手に注目が集まりがちな現代では、なかなか目にすることのない種類のもおのだ。
オーストリアに関しては「名もなき生涯」という、ナチズムに抵抗した実在の男性についての映画を見たこともある。あの主人公もたしか山村で慎ましく暮らしていた。
際限のない欲望や、饒舌、喧噪、嫉妬などに包まれた日々の生活のなかで、「足るを知る」を体現するかのようなエッガーの一生に触れ、ドキッとさせられる。冒頭と最後の雪の風景が、とても印象的だ。
<引用以上>

人新世と新自由主義で貧困の格差が拡大している、一方で、ものが売れない時代で、「贅沢な」こと、「欲望」「消費(浪費?)」を煽るいまのシステム。「足りをしる」生き方、まったく足りない困窮への対策、「共に生きる、誰も取り残されない」社会になってほしい。



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