ひろひろ48

ジョニー・ディップの映画MINAMATA(水俣) 

2021年09月23日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

ジョニー・デップが役者人生をかけた映画「MINAMATA(水俣)」。ジョニー・デップが主演と製作を担った。
9月23日から日本でも上映されている。

ネットの記事から:

熊本県水俣市のチッソ工場による工業排水を原因とし、現在まで補償や救済をめぐる問題が続く水俣病。その存在を世界に伝えたのは、ユージン・スミス氏とその妻アイリーン・美緒子・スミス氏が1975年に発表した写真集「MINAMATA」だった。
映画では、報道写真家として功績を評価されながらも心に傷を抱えたユージン氏が、妻アイリーン氏とともに水俣を訪れ、人々の日常や抗議運動、補償を求め活動する様子を写真に収めていく日々が描かれる。デップがユージン役を演じ、ビル・ナイ、真田広之、國村隼、美波、加瀬亮、浅野忠信、岩瀬晶子ら実力派キャストが集結。坂本龍一が音楽を手掛けた。
ユージン氏に憧れを抱いていたというデップは、「彼(ユージン氏)は心の中に痛みを抱えていた。でも、水俣が彼の心を再び開いたんだと思う」と語り、容姿から内面に至るまで、傷ついた写真家が再びカメラを手に取り、闘いに身を投じていくその生き様を体現。本作は、2020年ベルリン国際映画祭でワールドプレミア上映されると、各国メディアから「デップが最高の演技を披露」「デップが役に消える」と絶賛された。
<引用以上>

関連して、今朝の朝刊の記事「この人」から:
水俣病を世界に伝えた写真家 桑原 史成さん(84)
ジョニー・ディップが主人公の写真家ユージン・スミスを演じる映画「MINAMATA」の公開を機に、スミスが水俣病を撮るきっかけをつくった人物として再評価の機運が高まる。水俣病を知ったのは1960年。東京の写真学校を卒業し、島根県の実家に帰省する夜行列車の中で読んだ雑誌に特集が組まれていた。「フリーの写真家としてやっていくために、ほかの人がやっていないテーマを探していてね。これだ、と」。実家に1泊しただけでとんぼ返りした。
雑誌の編集部を訪ねて記者の名刺の裏に紹介状を書いてもらい、3ケ月後には熊本県水俣市へ。その後半世紀以上にわたって発表した写真の数々はスミスをはじめ世界中の注目を集め、日本の報道写真の金字塔として歴史に刻まれた。
現在、東京都内で写真展「MINAMATA」を開いている。「水俣病は昔の話で、終わったことだと思っている人が多い。だが、金銭的な補償はなされても、病魔に侵された肉体は元にもどらない。被害は続いていることを若い世代にしってほしい」と訴える。島根県出身。(井手壮平)
<引用以上>

「公害」という言葉を世界に知らしめた水俣病。その地方の経済を牛耳る一巨大私企業が、利益のため垂れ流した有害な工場からの廃液。その毒が海に流れ、魚に蓄積され、それをたべた人間の肉体を蝕む。まだ60年ちょっと前のこと。いま、ジョニー・ディップが取り上げ映画にしたことは、コロナ禍と生活困窮者へのしわよせ、環境破壊、このいまの世界の問題と関係なくはない。



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