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たかが一人、されど一人

記憶と反省 

2021年08月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 22歳で大学を卒業して社会に出るまで日記なんか書いたことはなかった。ところが会社に行くと、いきなり一冊のノートを渡されて、毎日業務日記を書くよう命じられた。当時はのどかな時代で、業務なんて新聞のスックラップ程度のこと。書くことがなくて困ったが、それでもお給金を頂戴する以上はと、頭をひねった気がする。この会社の勤務は25年に及んだので、毎日仕事の区切りに何か書くことが習慣になった。ノートもかなりな量になったが、数年前に捨ててしまった。今思うと少し残念でもある。その後サラリーマンとして会社を4回代わり、後に起業して自前の会社を持ったが、それでもその習慣は変わらなかったと思う。記録が残っていないのはやはり残念だ。その延長にあるのがこのブログと言える。2009年4月以来だから既に12年目になるが、サラリーマン時代からの延長だから苦にならないし、良い暇つぶしでもある。更にこれには前座があって、ブログを開始する前にmixiと言うSNSで2005年の4月から日記を書いているので、日記は16年に及ぶとも言える。言いたいことは表題の通り過去の検証だ。昨日ネットでアフガンと日本の関わりを解説するYouTubeを観ていて思った。解説していたジャーナリスト半田滋氏も言っていた通り、日本は何事についても検証する姿勢が無さすぎる。この指摘は何も半田氏には限らない。他にも多くのフリージャーナリストが指摘している。我々は殆ど無感覚になってるが、市民が正当な権利として政府に資料請求した場合、政府側は提示することを拒む権利があって当たり前のように墨で塗りつぶした物を出して平然としている。スリランカ人女性ウィシュマさんが名古屋入管で死んだ事件で、開示された関連行政文書は段ボール箱3個分、1万5千枚にのぼった。しかし、そのほぼすべてが真っ黒に塗りつぶされていた。も典型だろう。政府には過去の事件を検証する気は全く無い事がよく分かる。これは随分大きな問題で、特に今度のオリンピックが国民の6割以上が反対する中で強行されたのは何故か、結果として何が齎されたのか。なんてことは当然第3者の目で検証されて然るべきだと指摘する声も多い。もちろん大賛成だ。もっと根本に立ち返れば、先の大戦でさえ、76年を経た現在に至るも原因と終戦に至る道筋を真面目に検証していない。8月15日の慰霊式典で政府高官は尤もらしい式辞を述べていても、反省のかけらもないのが明らかだ。極めて残念と言わざるを得ない。参照:https://www.youtube.com/watch?v=bcT5Bwz5oWo&list=PLtvuS8Y1umY_--IrQAqPdYNjqpMZ9EAyd

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