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たかが一人、されど一人

戦争の記憶 

2021年08月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 子供の頃から「お盆が終われば山も海も行ってはいけません。」と言われたものだ。だから大勢の子どもたちが楽しみにしてたはずの夏休みの最終章だと思うが、何が天の怒りに触れたか知らぬが酷い天気になったものだ。多分大人たちの行いのせいだと思う。これじゃ近くにお墓があっても墓参りもままならないだろう。政府高官たちは、何も日本だけのことじゃないとうそぶいてると思うので、代わりに少し考えてみた。昨日の観たテレビ(BS-TBS「報道1930」)で保阪正康氏が言っていた。どうも1940年生まれの我々世代は戦争を知る最後の世代と言うことになる。従って後世に先の戦争経験を歴史として伝える義務がある、とのこと。小生は先の戦争に関する実体験は殆ど無いに等しいので余り大層なことは言えない。しかし、日本人が近代史に関して無頓着なことは気になっているので、今日は少しそのことを書く。昨日のテレビで、作家・作詞家として有名ななかにし礼氏の言葉「俺は政府に3度騙された」が紹介されていた。氏は保坂氏や小生より2歳年上、満州からの引揚者で、引き上げで苦労された経験は有名なところでもある。3度と言うのは、初めに満州には大きな夢があると政府から言われて行ってみると、これが大嘘。中国人地主を追い出して入植するのだから中国人から恨まれるのは当たり前。他にも多々あるようだが、省略する。ここから先は番組の内容から少し離れて、番組から受けた印象を述べたい。先ずは、政府は戦争を始める前から国民にウソを付くことが当たり前であったこと。そして戦争の負けを終戦と言い換えて誤魔化し、言わば歴史を改竄して都合の悪いことが無かったことのように振る舞ってきた。テレビ出演者たちは誰もあからさまには言わなかったが、こんな政府のやり口は戦後76年経った現在でも何一つ変わっていないではないか。それでも2度と戦争なんかするべきではないと思っている国民は決して少なくないと思う。しかし現在の政権、はアメリカの戦争であれば正義のためだから参加も已む無しとする方向に傾いているのは明らかだ。戦争は古来正義と悪との闘いである。しかし正義と悪は置かれた立場によって正反対になることも誰もが知っている。そして問題がややこしくなるのが「平和、平和の念仏だけで平和が保証されるなら誰も苦労はしない」と言う尤もらしい理屈。これが一番厄介で、これを如何なる理屈で論破したら良いのか、ボケ老人には分からないのが残念なところだ。

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