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カレー事件から23年目・林眞須美の長女、娘と無理心中 

2021年06月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


 週刊文春6月24日号に、林眞須美の長女Aさんが4歳の娘と無理心中したことが記事になって掲載された。一読して思ったのは、誰のことを書いているのかじっくり読んでいかないと混乱してしまうということだ。その長女Aさんが無理心中する2時間前には、Aさんの長女の16歳の娘が全身打撲によりショック死という事件が起きている。一度に多くの事が起きて、内容がわかりにくくなっている。● 絶対にカレー事件はやってない1998年のカレー事件の当時、4人きょうだいの一番上だったAさんはまだ中学生だった。熱心に眞須美死刑囚の無実を訴えていた。「お母さんは絶対にカレー事件はやってない。私も事件の日は何度かカレーの調理現場に行って、様子を見ているから間違いない」Aさんは両親の逮捕後は施設で過ごすことになった。事件直後、記者は何度も林家に取材に行った。多くの記者が自宅を訪れると、一番下の妹をさりげなく、見えないところに連れて行き、配慮していた。「事件でマスコミが大挙して押しかけて来た頃、妹には事情をわかってほしくないから遠ざけるようにしていた。私は母も父もカレー事件には関係していないので、絶対に逮捕されないと信じていた」当時の心境をこう振り返って記者に話した。両親が逮捕された後、和歌山市内の拘置所に行き「お父さんを返せ、お母さんを返せときょうだいを引き連れて拘置所の前で大声で怒鳴ったこともあった」20歳代前半で結婚し、生まれたのがBさんだった。幼いBさんの写真を手にしながらAさんは「本当にかわいいでしょう」と顔をほころばせていたという。仕事も家庭も充実していたように見えた。だが、Aさんの父の健治によれば、Aさんは後に離婚。数年前には、別の男性と結婚し、新しい家庭を持った矢先の出来事だったという。● 通称「和歌山毒物カレー事件」まずは、林眞須美が関与したとされるカレー事件とはどのような事件だったのか。1998年7月25日の夕刻。和歌山市郊外の園部という小さな町の自治会が主催した夏祭りでのこと。カレーライスを食べた参加者たちが次々と激しい吐き気や嘔吐に襲われ、あたりは地獄絵図と化した。当初、和歌山県警に入った通報は「食中毒」を疑うものだったが、症状を訴えた67人にうち、翌朝までに4人が搬送先の病院で死亡した。被害者の吐瀉物から「青酸反応」が検出されたことから、ただちに和歌山県警は「毒物混入による殺人、殺人未遂事件」と判断し、捜査本部を設置した。通称「和歌山毒物カレー事件」として日本中の注目を集めた事件となった。事件発生から一週間を経て、カレーにヒ素が入っていたことが判明すると、マスコミは「毒物の解明が遅い」と和歌山県警の捜査を批判し、その能力に疑問をなげかけた。報道合戦を一気に加熱させたのは、事件発生から一ヵ月たった朝日新聞の記事だった。断定的な書き方こそ避けてはいたが、眞須美被告宅に出入りしていた2人の男性が事件前にヒ素中毒で入院したことがあり、カレー事件との関連を和歌山県警が疑っていると書いたも同然の記事だった。林眞須美は2002年の一審判決では、カレー事件を含むほとんどの事件で有罪とされ、死刑を言い渡されている。『とんでもない毒婦が世の中にはいた』というニュアンスでマスコミは報道し続けた。その強いメッセージで、林眞須美こそが真犯人だとイメージづけられた。その後、四兄弟は和歌山カレー事件の”殺人犯の子供”、さらに”死刑囚の子供”として重い十字架を背負いながら生きることを強いられた。● 長期間の虐待を裏付ける古い傷それから23年・・・・・・・。和歌山市内にあるアパートの二階の自宅で、Aさんの16歳の娘・鶴崎心桜(こころ)さんが心肺停止の状態で発見され、病院に搬送された。その後死亡が確認されたのは6月9日のことだった。「母親が自宅に戻ったところ、黒い血のようなものを吐き出しながら倒れてい心桜さんを見て、自ら119番通報。搬送先の病院には父親が付き添った。死因は全身打撲による外傷性ショック。全身には多数の傷があり、長期間の虐待を裏付ける古い傷もあった。警察は傷害致死事件の可能性があると見て、捜査を進めています。」(捜査関係者)「心桜さんの救急搬送に付き合った夫は、その後行方が分からなくなり、夜十一時過ぎ、和歌山港付近で保護された。『精神的につらいことがあり、カフェインを服用して首をつろうとしたが失敗した』と漏らしているが、心桜さんへの虐待について『大変なことをしてしまった』 などと認める供述をしているようです」(同、捜査関係者)ところが、心桜さんが見つかった約二時間後、心桜さんの母親Aさん(37)と次女(4)が関西国際空港近くの海上で浮いているのが発見された。「奇しくもその日、眞須美死刑囚が和歌山地裁に新に再審請求を申し立てたことが明らかになったタイミングでした」(社会部記者)● 『そんな話はいらん』と一蹴『最後に長女Aさんや孫のBさんに会ったのは?』という記者の質問に、父の健治が語る。「1998年10月に眞須美と一緒に詐欺で逮捕されて、ワシは刑務所に行きや。滋賀刑務所から出所して数か月ほどした、2005年夏ころかな。長女AがBちゃんを連れて、会いに来てくれた。本当にかわいい孫だった。 2人と会ったのは、それっきりや。その後、長女は当時の夫といろいろ揉めて、離婚。それもあってか、ワシのところに来づらくなったのかもしれない。それでも長男を通じて、元気にしているとは聞いていた。長女はきょうだいの中では、一番に気丈でしっかりした子だったので、何ら心配していなかったのに…」「長女は眞須美との間にできた4人の子供の最初の子や。制服姿で緊張していた幼稚園の入園式、楽しそうにしていた小学校の運動会、思い出は尽きない。Bちゃんとは1回しか会っていないが、目がクリっとして愛くるしい表情、小さな手は今も目に浮かぶわ。なぜこんなことになってしまったのか…。つらい。娘と孫をいっぺんに失うなんて、言葉もない」自らの長女と孫2人の突然の死について、大阪拘置所にいる林眞須美死刑囚は何を思うのか。6月10日、林眞須美死刑囚と面会した50代の親族が明かした。「面会時間は15分でした。最初に長女のことを伝えようと『警察から何の連絡もないし確証はないが、実は長女が……』と切り出したら、『そんな話はいらん』と一蹴されました。これまでも私が面会するときは裁判の話が中心で、家族の話をすることはなかったこともあり、それきり話すタイミングを逃してしまって。 ただ、途中でまた長女の話になったので、『関西空港の連絡橋から落ちたらしい』と話しました。眞須美は少し不安げな表情でしたが、とくに慌てた様子は見せず、何も言いませんでした。確実なことがわかったらすぐに知らせると言いましたが、孫たちも亡くなっていたという情報は伝えられませんでした」● この壮大なる茶番 和歌山カレー事件ぼくがこの事件が冤罪なのではないかという、注目すべき記事に最初に出会ったのは12年前のこと。あらためて事件に興味を持ったのは、「週刊金曜日(2009 1/23)」という週刊誌の記事を読んだから。この週刊誌は表紙含めて68ページしかないのに、当時500円もした。現在は600円。この雑誌は編集委員が中心となり読者から出資を募り創刊された。「スポンサーや広告主に阿らずに市民の立場から主張できるジャーナリズム、権力を監視し物申せるジャーナリズム」を目指し、また、休刊した『朝日ジャーナル』の思潮を受け継ぐとしている。ところで、興味を持った事件のタイトルは「この壮大なる茶番 和歌山カレー事件「再調査」報告プロローグ」。片岡健氏のルポルタージュで、週刊金曜日ルポルタージュの佳作を入選している。何が壮大なる茶番なのか?読む前までは、林真須美やその夫の林健治がカレー事件に対して無罪を主張することが、「壮大なる茶番」と言っているのかと思っていた。まるっきり逆だった。片岡氏は自分の考えを事件の詳細に入る前に、こう述べている。最初に表明しておくが、私はこの事件を冤罪(えんざい)だと思っている。この事件が冤罪と聞き、ピンとこない人も多いだろうが、公判でも林真須美が犯人とは断じがたい事実が数多く明らかになっている。それが、報じられてこなかっただけである。結論から言うと、この事件の初期報道は大半がデタラメで、林真須美は保険金詐欺はやっていたが、保険金目的で人の命を狙った事実は一切ない。本稿によって、少しでも多くの方がそのことを理解し、同女がカレー事件の犯人だという思い込みを捨ててくれることを私は期待している。週刊金曜日に掲載された、ルポの無罪と主張するところのそれぞれの詳細は省くけれど、興味を持った方は本も出ているし、探せば彼の無罪を主張する文章を掲載した種々の雑誌もバックナンバーにあるはずなので、読んでみてほしい。『冤罪FILE2009年6月号』にも和歌山毒カレー事件全真相として14ページ掲載されている。最後に片岡氏は「週刊金曜日」でこのように訴えている。死刑事件の慣例である上告審の口頭弁論の期日は二月二四日に決まり、裁判の決着まで残る時間はあとわずかだが、それまでに今回書けなかったことも私は機会あるごとに報告していく。読者諸氏にも今後、この事件を注視してほしい。● 真犯人は別にいる2009年2月24日の裁判はニュースになっていた。多分、現在も同様のことが裁判で取り上げられて論じられるのだろう。弁護側は「被告に動機はなく、真犯人は別にいる」とあらためて無罪を主張し、検察側は「根拠のない憶測だ」と反論した。弁護側は、鑑定結果や目撃証言について信用できないと主張。信用できないとしているのは、林被告宅で見つかったヒ素と混入されたヒ素が同一とする鑑定結果、そして白いTシャツ姿の被告が1人でカレー鍋の見張りをしていたという目撃証言など。目撃証言に関しては、「着ていた服の色が違い、別人との見間違いだった」と指摘。ほかの者が毒物を混入する機会はあったとして、無罪を訴えた。決定的な証拠がない上、動機も不明なのに1、2審は有罪認定したと批判した。2021年6月16日、林真須美死刑囚(59)の代理人の生田暉雄(てるお)弁護士(香川県弁護士会)は、無罪を求めて和歌山地裁に再審請求したことを明らかにした。請求受理は5月31日付。新たに再審請求を申し立てた理由を「第三者の犯行と思われる証拠が出てきた」ためと説明した。生田弁護士は、被害者67人全員の体内からヒ素に加え、シアン(青酸化合物)が検出されたとする鑑定結果が証拠提出されていたと説明。林死刑囚がカレー鍋にヒ素を混入させたとして有罪とした確定判決に関し「(林死刑囚は)ヒ素もシアンも使っておらず、犯人ではない」と反論した。しかし、もしこれが本当に冤罪ならば実に怖いことで、間違った判決が林家の家族の人生を、死を含め、めちゃくちゃにしたことになる。改めて、この事件に関しては情報を白紙に戻して再度見直していく必要があるのだろう。 参照: 週刊文春 > 2021年6月24日号    「そんな話はいらん」林眞須美死刑囚、“関空連絡橋から長女が飛び降り”一報への肉声    【独白】「長女と孫が亡くなった」和歌山カレー事件の林健治さん 16歳孫が変死後、長女が自殺か〈dot.〉 

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