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起こることは幸せでもなく、不幸でもない 

2021年06月15日 ナビトモブログ記事
テーマ:生きる言葉


板橋興宗という禅の高僧に教えられることが多い。
幸も不幸も、人間が価値評価するから生じるので、自然には幸も不幸もないという言葉もその一つ。もちろんこれは仏教では古くから言われている言葉だが。

幸・不幸というのはものごとに付随して起こるが、物事は、自分と関係なくただ事実として生じるだけである。
この事実に自分の判断をするから、幸・不幸が起こる。物事は、変えようのない天気と同じだと考えればよい。どう受け取るかはこころ次第だ。ということだろう。

不幸の解毒剤は、ついている、ついているという言葉ででプラス面を見る、無関係なことに関心を向けるつまり気晴らし、どうしてもだめなら時薬を飲む ということだろう。

そんなことを今日は考えていた。

昼から、ジムの卓球。先日襤褸負けした人に打ち勝って気持ちがいい。少し、コロナの副反応の情報交換をしてくる。みな高齢のせいもあるが、2日ぐらいは静養が必要だと考えている。



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めのうさんへ

風の鳥さん

書き方が悪くて誤解されたと思います。ごめんなさい。仏教は(さほど詳しくはないですが)、簡単にいえば、幸・不幸はない。幸・不幸というのは、人間が価値づけるからだといっています。世界は心が作るといっているのはそういうことだと思います。
だから、例えば、病の苦痛に対して仏教は、苦痛のままに救われる道を説くのだと思います。病そのものをなくすという方向にはいかないのではないでしょうか。

現実の悲惨さそのものを改革しようとするのは、政治や倫理観ではないでしょうか。

2021/06/16 09:19:24

少し反論

めのうさん

生意気ですがそういう自分なのでお許しくだされ。

不幸をそのまま自覚しないで、おまじないや気晴らしで怒りや悲しみの感情を抑える、乗り越えるというのは禅の根本とは違っていませんか?

私は幸いにもひどい惨事に遭わずに生きて来られて、自分の些細な不幸はそれなりに受け取る事が出来ますが、環境の急激な変化で起こっている多くの動物の死滅や、虐待状態で飼育、屠殺される家畜、教室で銃殺された多くの小さな子供達など、どうにもならない事実の哀しみは取り去る術が見つかりません。そういうのはどうしたらいいんでしょう。

2021/06/16 00:50:09

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