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凡庸の悲しさ (4/20) 

2021年04月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 医療・介護等々、最前線で働いている皆さんに感謝し、さらなる負担をかけないよう努力します。
 こんな時ですから、誰にも黙っとこうかなぁと思ったのですが、後になって記憶が抜け落ちるのではもったいないし、非公開もありですが、読んでくださる方とも想いを共有できるかもしれないので、やっぱり書きましょう。 最近のことですが「花束みたいな恋をした」を見ました。「三国志」を見た後、チラシを眺めて要チェック、赤旗日曜版でもお勧めされていたので、見たいなぁと思っていたのです。思いは叶いました。絹さんと麦君の花束みたいな恋が、5年で終わった話でした。
 私は幸い好きな人と結婚できましたが、思い当たることあり過ぎて、一つ間違ったらこんな結末になったかもしれなかったと、しみじみしました。それほどごまんとありそうな話でした。悲しいのだけれど、あ〜、若さって良いなぁなんてね。
 「社会に出ることはお風呂に入ることと同じ」は、絹のお母さんの言葉です。入る前は面倒臭いけど、入ってみたら入って良かったなって思うと言うことで、こんなことを口にしてしまう大人と言う存在にうんざりしつつも、それは正しいとわかっています。社会に出ずに、2人だけの世界で、花束みたいに愛し合いながら生きられるには、限界があります。
 2人が気づくのは、現実の厳しさとそして、本当にやりたい事の才能があるわけじゃなかった凡庸である事実でした。花束はいつか枯れます。あ〜、ほとんどの人はそうです。そこ、折り合い付けて、その先を生きて行く。悲しいけれど、努力は必ず報われ・・・ないのです。
 私は、花束みたいな恋(食べ物が無くなるまで、ほとんどベッドの中にいる体験あり)から、結婚にシフトして行けた、きわめて幸運というか強運と言うかの持ち主です。絹と麦も、結婚してしまうと言う手はあったのです。若い頃、「神田川」みたいな同棲に憧れました。今でも「かけおち」に魅力を感じます。でもそれをする必要はなかったです💦残念。
 そんな私は実は、息子には、平凡な暮らしを求めてほしくなんてないのです。責任取ってやれないのですが、世間が自分の才能に追いついてこれなくて報われなくても、それに悪態つきながら、やりたいことをやっていってほしいのです。花束みたいな恋をし続けられる人であってほしいのです。
 昨日は、月に1度のさっちゃんデイでした。ゴスペルをやっているさっちゃんに、紫のKF94マスク2枚で作った(ボンドで貼った)歌用マスクをプレゼント。左腕付け根付近の不快感をとってもらいました。その間は元気だったのだけれど、夜になってもう動くのが嫌なほどに。

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