ひろひろ48

フクシマ50 

2021年03月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

映画館でみれなかったFUKUSHIMA50を見ています。
地震も、原発事故も、恐い。
チェルノブイリで、命がけ、文字通り命かけて原発の炉心爆発は止めた消防士たちがいました。
福島原発ではFUKUSIMA50がいました。
炉心爆発が起きていたら、東日本は全滅でした。いまあるのは、この人たちの命がけの行動です。
軍隊は、いやだけど、米軍が「ともだち作戦」で日本を助けてくれました。そのとき少なからずの兵隊が被ばくしたそうです。
10年で、福島は復興したのでしょうか???人間てなんなんでしょう?7万とか10万とかする接待で贅沢をする官僚たち、政治家たち、財界人たち。一方、コロナで職を失い、家をうしなった人々。国会で平気でうその発言をする人たち。真面目に働いても生きていくのがやっとの人たち。

地震と大津波で、多くの亡くなられた人。そのご遺族に確認のための特徴などを得るための検視をされた警察関連のひとがいました。そのネット記事です:

 東日本大震災で1万5千人を超える死者の死因や身元を調べ、遺族に引き渡す役割を担ったのが、全国から派遣された警察官たちだった。静岡県警捜査1課の山下安則・統括検視官(57)もその一人。2011年の3月に福島県相馬市、同年5月に南相馬市へ約1週間ずつ派遣され、津波にのまれた遺体に向き合った。

 3月の派遣では遺体安置所となった工場で検視にあたった。遺体の写真を撮り、津波で泥まみれになった体を洗い流す。全身の傷を細かく確認し、持ち物や体の特徴、指紋やDNA型、歯形なども記録。医師から災害死と確認してもらい、遺体を棺に納めた。

 工場内には遺体と対面した遺族が号泣する声が響きわたる。その中で黙々と作業を続けた。少しの無駄話も、笑顔を見せることも許されない。緊張が続いた。担当する遺体の前では必ず手を合わせ、黙禱(もくとう)をささげた。

 ある日、生後数カ月の赤ちゃんの遺体が運ばれてきた。遺体にはほとんど傷がなかった。「皮膚が弱い赤ちゃんがなぜ……」。不思議に思った。数時間後に運ばれてきた若い女性は、赤ちゃんを抱きかかえる姿勢で硬直していた。2人は親子だった。「津波にのまれても最後の最後まで子どもを守ろうとしたのか」。母親の気持ちを思うと涙が止まらなかった。



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