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カシアス

かかりつけ医 

2021年02月14日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

昭和30年頃、我が家の、かかりつけ医は、
近所(徒歩数分)のH内科医だった。
見かけは、中年の穏やかな普通のおじさんで、
娘さんが大学に入ったと聞いたこともあるから、
50歳前後だったのだろう。

H医院は一見普通の木造住宅、
引き戸を開けて、玄関に入り、床に上がって
白いカバーのかかった大きなソファーに座る。
他に待っている人を見た記憶はなく、
いつも直ぐ診察室に案内される。

先生の他には看護婦の奥様だけで、他にだれもいない。
風邪、腹痛等に加えて多少の擦り傷や火傷等
歯以外は何でも先ずはH医院だった。
なお、歯の方も徒歩数分の、
かかりつけの歯医者さんがいた。

H先生は必要なら往診にも応じてくれる。
ある日、母が高熱を出し青息吐息だった時も、
往診に来てくれた。
布団に仰向けに寝ている母の横に座り、
手で胸をトントンと叩き、聴診器を使い、
喉を観て、脈数を数えるなど、
医者が普通行う行事を一通り行った後、
洗面器のお湯で手を洗いながら、
風邪ですから薬を出します。
後で取りに来てくださいと、一言。

父は注射もしないのか、と不満げだったが、
先生からすれば、単なる風邪、
飲み薬で充分と言うことらしい。
ついでに付け加えると、
H先生が注射をしたのは見たことがない。
出される薬はいつも調合された白い粉薬で、
折りたたんだ白い紙に包まれている。
兎も角、母は数日で完治した。

小学校に入る前のある日、
全身に発疹がでて、高熱を出した事があったが、
往診に来た先生は、いつものごとく、
問診しながら、目と手と聴診器で診察して、
泉熱のようです、
飲み薬を出すので、あとで取りに来てください、
といつも通りの一言。
あの診断で、何故しょう紅熱ではなく、泉熱なのか、
今から考えると不思議だが、当時は全く疑わなかった。
もし、しょう紅熱なら法定伝染病だから病院に隔離される。

発病から3日目辺りが一番苦しかった。
意識が朦朧として、寝ているのか起きているのが分からず、
体が浮き上がりそうになるのだが、
浮き上がれば最後だと思い込み、
一生懸命力を入れて踏ん張っていた。
何とか浮き上がらずに意識が戻った時は、
死なずに済んだと思った。

そんな事を、知ってか知らずか、かの医師はいつもの通り、
最後まで飲み薬を出すだけだったが、
兎も角、(時が解決し?)、一週間後に完治した。
名医なのか、やぶなのか、今となってはわからないが、
結果はいつもオーライ、当時は名医と信じて疑わなかった。



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