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ニャンコ座リポート
私の脚の変遷 (11/22 誕生日)
2020年11月22日
テーマ:テーマ無し
65' Happy Birthday to me
ご存じかもしれないが、今日は私の65歳の誕生日だ。いや〜、参った、前期高齢者突入だよ。何か良いことあるかなぁ。
今年は人工股関節置換手術を受けたので、子供の頃の右脚の変遷をまとめておこうと思う。
私は昭和30年生まれ、今のように、今はどうなの?ちゃんとした赤ちゃんの股関節の検査体制ができておらず、1歳を過ぎて、歩き方がおかしいと気づいて初めて、病院へ行ったそうだ。そこで、「先天性股関節脱臼」の診断が出て、要するに「臼蓋形成不全」ってやつだったんでしょうかねぇ。本当の原因はわからず、その後の母が、ず〜っと「そんな脚に産んでしまって、ごめんねぇ」と言っていたが、そんな風に思わせてしまったことこそ、申し訳ないと思っている。 今でもそうするのかどうかわからないが、開脚させて固定する治療をしている写真が、何枚か残っている。次の写真が、昭和32年12月27日、歩いてはじめて外に出た日と書き込まれてあるので、私が本当に歩き始めたのは、2歳になってからだったのね。治療が終わった時点で、病院側から「おっつけもう1度治療しなければならなくなる」と言われたそう。関節が変な風に入っちゃったらしい。母から幾度も聞かされた。それって、今なら医療ミスで訴えても良いんじゃない?と思う。
案の定、お入学を前にした冬、痛くて歩けなくなった。つるつる路面を、歯をくいしばって保育所まで(集団登園)歩いたのを、今でも覚えている。それまでして行きたかったのか、いまだにわからない。
1年生の時、名医の誉れ高い、内海先生の治療を受けるために、登別の病院に入院。入学式に行けてない。手術回避の可能性をさぐり、1か月牽引の治療を受け、ロボットみたいな装具を付けて退院した。母は3歳の弟の手を引き、登下校の付き添いと、中間でトイレの介助のために学校に来てくれた。学校は近かったけれど、今思い出しても母の気持ちが切ない。
そうまでしても脚は治らず、2年生の時に大手術を受けた。回転骨切ナンチャラ言うのかな。今と違ってウエストからつま先までのガチガチのギプスをかけて1か月以上、そして3か月近いリハビリを受けて、4か月にわたる入院生活を終えた。1学期すべてを欠席、夏休みの終わりころに家に帰れた。今のリハビリを思うと、2年生の女の子が、よくぞそれに耐えて、元気に走り回れるようになったもんだと、その頃の自分に会えたら、抱きしめてほめてやりたいものだわ。写真は、ひろこちゃんとみちこちゃん。
その時点で、右肩下がりの私の立ち姿が確定したのだ。そのまま64歳まで生きた。あすなろにかかった時に「当時としては精一杯の、最高の治療をしてもらっていますね」と言われたので、内海先生に感謝している。
今日はこれから、友人たちが来て、パーティーを開いてくれるとのこと。
「ジョン・レノンとヨーコ」というか「IMAGINE 」の番組を見た。親方師匠のジョニーからの指令だ。私は熱心なファンではなかったから、初めて知ったことがたくさんあった。1980年だったんだね。今こそ「IMAGINE 」を歌わねば。
昨夜は、「二柏の丘 ライトアップイベント」に行ってきた。寒かったけれど、とても良かった。都会のイルミネーションとはまた違って。
東京のトラコさん、誕生日おめでとうございます。北海道から、応援してるよ。
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