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兵庫県南部の島

都構想は決着した。 

2020年11月01日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

私が生まれたのは大阪の四天王寺の近くの大道と言う町で生まれ、太平洋戦争のときには赤ん坊で奈良の唐招提寺の近くに疎開して、敗戦後に大阪の阿倍野区に住むことになった。その時に戸籍謄本の本籍地は阿倍野区になり、淡路島に24歳の時に流れ着いて、結婚するまでは阿倍野区が本籍地になっていた。

大阪の都構想が今回の住民投票でもダメになり、阿倍野区がなくならないことになった。阿倍野区と天王寺区の境目にはJRの天王寺駅と近鉄の阿部野橋駅があり、チンチン電車の上町線がある。

この上町線のある道路は熊野詣の街道で、王子神社がある。上町台地の上を行く街道で、住吉大社の近く、堺市役所の近くを通り、和歌山の方に行く街道だ。

南北朝の時代に、北畠顕家が石津川の合戦で亡くなり、その死体を祀ったという伝北畠顕家の墓というのもある。

ジェーン台風の時にこの墓の近くにあった阪大南校(大高?と言っていた)の屋上に上った時に、大阪湾が見えて淡路島も見えていた。今から思えば、私の未来に住んで、灰になる所を見せてくれたのかもしれない。

大阪発展も淡路島の片田舎から祈るのは当然と思っている。



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