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ひろひろ48
絶望と救い
2020年08月06日
テーマ:テーマ無し
生まれた家が、たまたま裕福だったり、たまたま普通だったり、普通に育てられ、近所の子どもたちと遊んだり、学校に行ったり、普通に高校に進学し、それなりに勉強もでき経済的にもOKなら大学進学もでき、正社員で会社務めでき、結婚もし、家庭も持てたかもしれない。。
逆に、そうでない家に生まれ、虐待、育児放棄、いろんなことがあって、そして絶望。
格差も広がり、普通に働くことも難しい状況。
新聞のコラム「8月の窓」(8月2日)から
「お巡りさんのひと言に救われて」
「人生の幕を閉じよう」
そう思ったとき、路上生活中の40代男性の頭に浮かんだのは、10万円の特別定額給付金と親友のことだった。
少し前まで住んでいたアパートに届いた給付金の申請書に「結婚祝い」と書いた手紙とキャッシュカードを添え、親友宅のポストに入れた。
「ずっと恩を返したかった」
男性は四国で養父母に育てられた。体罰を受けたこともあり、楽しい思い出はない。20歳で親友と上京。「2人で会社を起こそう」と夢を膨らませたが、うまくいかなかった。職を転々とし、路上で暮らすようになると、心配した親友が届ける現金で命をつないだ。
3年前から生活保護を利用し、親友とは疎遠になった。家庭を築いた親友に、もう迷惑をかけたくなかった。ここ2年間は誰とも会話をしたことがなかった。
アパートが今年解体されることになり、新しい住まいを探したが、身元引受人がおらず、保証会社の審査も通らぬまま。つらさに耐えきれず部屋を飛び出した。親友宅に手紙を投函した後は死に方を考えていた。
高速道路の下で寝ていた6月の夜。雨の中、やってきた警察官に「迷惑だと110番が入ったから移動して」と言われた。「俺がどんな迷惑をかけたんですか」。たまらず聞き返し、押し問答になった。話し込むうちに警察官に説得された。「生きていればやり直せる。死ぬなよ」
男性は6月末、東京都新宿区内で開かれた困窮者向けの生活相談に向かった。「今生きている理由の8割はあの警察官で、2割は親友」。そうつぶやいた。 (中村真暁)
<引用以上>
大昔、学生のころ、一日バイトしてすぐにお金をもらえっるところって、あまりなくて、神戸の港のあんこの仕事があって、兄貴と行ったことがある。兄貴は、大学の部活の資金のため、けっこう以前からやってて。小柄なぼくは、そのころも体力はあまりなくて、屈強な大人が目いっぱいで働く現場、冷蔵庫で猫引きという作業、100Kgくらいの冷凍の肉などを二輪車に積んで運ぶ。−40度くらいの冷蔵庫だけど、汗をかきながらの仕事、重くて、床が板張りで、あちこち壊れている。穴に落っこちると大変、100Kgの荷物を引き上げないといけない。腕だけで引っ張ろうとすると手に豆ができ水膨れができる。作業が終わるころは腕に力がはいらないくらい。その豆の跡が今も残ってる。そのときの現場で、傷害のある人がいた。もちろん他の人と同じようには働けない。でも、現場の責任者?会社の人は、暖かく扱ってた。そういう世界もあったな。
いまの人間関係とよべないような関係の社会の中で、壊され、壊れている人が、少なくないのかも。。
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