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たかが一人、されど一人

スポーツのこと 

2020年05月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

都内は自粛要求が延長されたが、今朝は昨日の雨が嘘のような皐月晴れ。6時前の早朝から犬の散歩や1人でジョギングする人は多い。朝食が済むと、未だ回収が来ないゴミの山の側で、ご近所の父と男子が家の前の狭い道でキャッチボールをしている。傍らでお母さんが妹らしき少女に縄跳びを指導している。コロナは関係なく一般市民の健康志向は強いものがありそうだ。このご夫婦は比較的お若いが、早朝見かける健康志向者は皆高齢者。老いも若きも健康を志向するのは大いに結構なこと。ひょっとすると年配者の健康志向が、日本人の潔癖性と相まってコロナの蔓延を防いでいるのかも知れぬ。健康志向では他人に引け取らないが、スポーツは何をやってダメ。見るのもそんなに好きとは言えぬだろう。でも小学校から中学校くらいまでは何でも一生懸命したものだ。現代は、サッカー人気に押され気味で、少年野球はやや人気に陰りがあるようだが、小学生だった頃の人気スポーツは圧倒的に野球。小学校入学が昭和22年だったので、3年生頃には既にプロ野球が相当活躍していたように思う。子供心に川上哲治選手の赤バットに憧れ、我々少年たちも野球の真似事をして遊んでいた。真似事をすると言っても世の中は無いものだらけ。道具が買えるような高額なお小遣いを貰える子供がいない時代の話。遊びは全て代用品で賄っていた。何故か雑貨屋にボールの代用品が置いてあった。ボロ布をテニスボール程の大きさに固く丸めて凧糸でカシメた代物。バットは太めの青竹を適当な長さに切ったもの。ピッチャーはアンダースローで投げ、守備陣はミット、グローブを着けず素手で遊ぶ。チーム編成は集まった人数で場合毎に異なるが、何れにせよ仲間を半分に分ければ良いだけのこと。昼休みにもしたかもしれぬが、主に遊ぶのは放課後の校庭。校庭の独占は出来ないから、三角ベースと言って本塁、一塁、二塁止まりが多かったと思う。三角ベース野球に審判役がいたかどうか記憶がないが、見逃し三振アウトは無かったかも知れない。回数もその季節に応じてうす暗くなるまでやった記憶もある。野球の次は水泳。世界の古橋、橋爪、山中と世界驚かすような選手が続出。小学2年の時、近くの川で友人のお父さんから水泳を教わった。と言っても浅瀬で石につかまり頭を水につけて身体を伸ばせば自然に浮くことだけ。後は長野市内にあった市営プールでの独学。赤いふんどしが欲しかったが、家には白い布しか無かった。思えばなにかも代用品と独学のスポーツだった。ノーベル賞受賞の山中先生が安倍首相に「来年のオリンピック開催は余程の幸運がなければむずかしい」と言われたとのこと。

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