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終わった人だ、私は 

2020年05月04日 ナビトモブログ記事
テーマ:生きる喜び

テレビで舘ひろしの「終わった人」途中まで見る。
定年退職を持って終わった、死んだと見立てたコメディタッチの映画。
内容はともかくタイトルの「終わった人」というのが気に入った。おかしくなった。

私は現役を退いて11年、81才。とっくに終わっている。そのくせ、なにか現役的な生き方を引きづっている。生産的でなければ駄目みたいな。だから、毎日ジムに来ている人や旅行漬けになっている人を見るとよく満足できるなと思ってしまう。

こういう考えは、自分の実像には合わないと思い、一度死ぬという出家の思想などを読んでみたが、どうも実感が湧かない。

ところが「終わった人」と思ったとたん、大げさに言えば悟ってしまった。

こころがのびのびとして子供時代のように新しいことを始めたくなった。

いつこの一種高揚した気分がなくなるか分からないが、目の前の壁に「終わった人」と書いてピンでとめた。
終わった人なんだ。そう思うとコロナも怖くない。



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めのうさんへ

風の鳥さん

ええ!バスを止めようとしたのですか。笑い。

子供の頃から向こうみずだったのですね。
歴史を動かすのはめのうさんみたいな人でしょう。

なにかをなす時には「ただ狂え」といいますが、私のような小心者にはできません。ただ、塹壕を出ようとはしないのではなく、大丈夫と確かめてから、塹壕を飛び出しますが。

2020/05/05 15:52:07

少しわかるような

めのうさん

私は5歳の時、急行バスの前に飛び出して、奇跡的に怪我もせずバスの下から這い出した経験があるので、一旦死んだという思いがずっとあります。

だからなんでしょうか、風の鳥さんが見つけたような子供の時の気持ちが全く変わらないで今もあるのが自分でわかります。大人げ無いのですが変えようがありません。

私の向こう見ずな行動はそこから出ているのかも知れません。

風の鳥さんが向こう見ずな事をするのを見たいわ。笑

2020/05/05 13:59:58

めのうさんへ

風の鳥さん

高齢になって死が目前にあると、明日死ぬと思うから花が一段と美しいともいえますが、子供や若い時代のような暗さのない喜びは得られない。この暗さのない喜びを得るには、一度死ぬ必要があると思うのです。出家にはそうした意味があると思います。
一度終わったと思うと新たな生が始まります。
上手く説明できませんが、新たな生と思うと死の影が感覚的には消えました。
若い頃の、素敵な恋もできる、革命も起こせる、なにか素晴らしいことも成し遂げられるという感覚が戻りました。
もちろん、感覚的にということで理性的にはそうは思いません。だから、素敵な恋は、小説の中の女性やテレビに出てくる女優やタレントに恋します。
リアルな仙人さんとデートなさるめのうさんとはそこが違います。笑い。でも十分楽しいです。

やはりうまく説明できません。でも「終わって始まった」という気持ちは今も持続しています。

2020/05/05 04:46:17

こんばんは

めのうさん

風の鳥さんがブログで表現なさる気持ちの動きは私も同感に思う事がよくありますが、今回の終わった人と見るで子供に帰ったようにのびのびした気持ちになった、という心境は一晩寝でもまだ分かりかねています。

そのうち私も悟ったらお伝えします。^ ^

2020/05/04 21:23:53

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