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兵庫県南部の島

忘却とは 

2020年03月16日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

≪忘却とは忘れ去ることなり。 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ≫


今日は朝は曇りがちで、パラパラ雨と言うよりも水滴が降ったような天気であった。
昼からは太陽が出てきて、朝から室内干しの洗濯物を戸外へ出して、乾燥させようとした。

畑に出て夕方に帰宅して、晩御飯を食べて、テレビを見ていたら19時を回っていた。ここで、まったく「忘却の彼方」にあった洗濯物を思い出して、戸外から取り入れたが、もう「湿気」ていた。

この「忘却」がさらに進むとどうなるのだろうか。
晩御飯の「オカズ」を思い出せないのはまだ痴ほうが進んでないとよく言われるが、晩御飯そのものを済ませてないと言い出すと、痴ほうがかなり進んでいると言われていたように思うが、どうなんだろうか。

≪忘却とは忘れ去ることなり。 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ≫
と言うのはラジオで「君の名は」と言う番組の冒頭の言葉で、映画では淡島千景がつぶやいていた。岸恵子佐田啓二の物語で、私は小学校の時代だったから、ラジオで聞いたこともなく、映画でも見た記憶はないが、DVDでは何度も見たが、この時代では、まだ馬車があったりしていた。汽車や汽船は利用したことは当然だったが。

大阪の天王寺から奈良までとか、東和歌山から白浜方面へは汽車であり、大阪天保山から淡路島なんかは当然に橋がないから汽船で2時間はかかっていた。現役時代は、淡路島の岩屋から明石港、津名港から長田、洲本から神戸港、深日港とかいろいろ利用したが、1時間ちょっとで行かれた。
銅鑼が鳴ったり、テープが投げられたりしていたが、もうこんな風景はない。



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