メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

八十代万歳!(旧七十代万歳)

飛行機工場の少女たちについて 

2019年12月02日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し




戦争末期には人手が足りず、中学2年から高校1年くらいまでの年の女学生が、飛行機の部品を作る工員として働かされたりしたのです。私の場合は工場へ動員されても自宅からの通勤でしたが、寮に住まわされて働き続けた女学生達もいたのです。栄養の足りない量も足りない食事で空腹を堪えながら、夜勤までさせられた過酷な時代を28年後に集まって明るい思い出として語っている女性達。彼女達の膨大な記録です。
とりあえずリンク貼って見ました。




私は飛行機工場の少女達を今までちゃんと読めていませんでした。迂闊にも本文が膨大な量である事に気付かずにいたのです。
今日本文をいちいちコピペしようとしましたが、ipad が言うことをきかず、上手くいきません。そしてこれは、抜粋できる話でないと気づかされました。


地域FMの私の番組で紹介できる話ではないと。


でもどこかで語りたい。これを電子化された大和田さん達が大勢で読み合う会をなさっていましたが、そういう会に参加したいものです。


時間的に全部は読めないし抜粋もできない。ラジオでは私の感想しか語る時間がない。


自分でしっかり読んで、全体像を話すしか私のラジオには時間がないのです。


そうして、戦争という巨悪が、13歳から16歳の少年少女から勉強する時間を奪って、工場で兵器を作らせた、昭和の最悪の時代を、どう伝えれば良いか、これから考えます。
学校で勉強しているはずの女学生が、スカートもなくモンペを履いて、工場労働に携わった。結果国は完全な敗北を喫し、彼女達の働きは無駄になった。


私の場合、女学校2年13歳の時動員された工場は既に爆撃で瓦礫となっており、廃墟の中で真鍮の部品を拾い出す作業をしていました。帽子もマスクもないまま炎天下の作業で、気管支炎になって敗戦の日を迎えたのでした。


戦争なんていう馬鹿馬鹿しい事を、二度と起こしてはならない。
「戦争だけはやっちゃダメ」と96歳まで叫んでいた久米おばあちゃんだけでなく戦争被害者の我々世代は、最後まで語り継ぐべきだと思います。
我々は語らなければならないんです。どう語るかじっくり考えます。



老老介護から、3日の休み時間を頂いたのだから、戦争反対をどう語るか考えます。


雨が止みました。
早めに夕食を作って、NHKの首都直下地震の番組をじっくり見なければ。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ