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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

あれから4ヶ月 

2011年07月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

未曾有の大震災後4ヶ月だから、一年の三分の一があっと言う間に過ぎちゃった 


一応被災者ながら我が家は空き家にしていた家が、床下浸水と家もあちこちは傷んだが・・・!


私の場合・・この4ヶ月は本当にこれまでにないくらい働き、未だに疲れが取れないが・・元の生活に戻ってはいる 


最も空き家の後片付けは「捨てる」に徹しているが、一人では限られたことしか出来ないから(でも何でもやっているんだよ)、これから延々と続くのは変わらない 


未だに避難所暮らしをしている方もいるが、義弟たちも先月末に仮設住宅に入った 


確かに「地デジ」のテレビやエアコン、冷蔵庫に洗濯機などついてはいるが、これまでの思い出のものは何一つない 


位牌もなければ遺影もないし、お墓のお骨まで津波に洗われてない 


元の生活に戻りつつある方は多いだろうが、それでもあちこち家が傷んでいたりして、余震の度に震えている 


今日は友達の告別式に行って来たが、その最中にも余震があり祭壇の花が大きく揺れる 


壊れるような建物じゃないから席を立つ人はなかったが、言葉に出さなくても「まだ揺れている・・」って感じだったと思う 


震災後手伝いをした友達のお母さんは、まだ見つかっていない(息子さんは早くに見つかって葬儀は済ませた)


私は毎日夜に県警のHPを開き、遺体確認された方をチェックしているが、昨日は宮城県で1人だった(今日は4人)


私が確認しているだけで中学の同級生3人が犠牲になった 


勿論私が頂ける「義援金」など無いが、義援金だって貰わないよりは良いが・・・の程度だろうと思う 


勤めていて会社が無くなった方や、農家だけで生活して来た人は「住むところ」は与えられても、毎日の生活費に事欠く 


原発被害の福島などは復興に、どの位かかるかも分からず(気が遠くなるほどかかりそうな・・)塩害の田畑だって、10年以上とも言われる 


瓦礫の少ないところから片付けられてはいるのだろうが、昨日裕哉と飛行船を追いかけて行って、写した下の画像は宮城国体で「馬術競技」があった辺りと思うが、確か馬は一頭だけ助かったって聞いたような・・!

             
            



これから1ヶ月・2ヶ月過ぎても、大きく変わることはなさそう・・馬のつぶらな瞳を思い出し涙する 






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