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疲れます (9/16 敬老の日) 

2019年09月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 今日は敬老の日です。本来なら、35歳の息子は63歳の私を敬い、いたわってくれてしかるべきだと思うのですが、今はめちゃめちゃ苦労かけられています。親は我が子が幸せでなければ自分は幸せになれない、困った生き物だという事を、未熟な息子はどうやら理解していません。
 ここの所、息子との関係が悪化して来ています。私は息子の考えを理解できず、息子は回復を諦めかけています。昨日はファーチレに行く私に、目的も無いのに、家にいるのも嫌だと付いてきました。でも何をしたいでもなく、時間をつぶすのも苦痛で、先に帰ると言っていたけれど、伸びた髪を切って?、友達に会い、ゲームボーカフェ?に行き、同じバスで帰りました。
 息子の主張は、何か月たっても一貫しています。ほんの少しのぶれもありません。一途と言えますが、私に言わせれば意固地です。それが自分自身を苦しめ、追いつめていることに、気づいてはいるのでしょうが、認めることは無いでしょう。かわいそうでなりません。
ファーチレは、楽しかったです。演奏会まではまだやや余裕があるので、必死で自習はしていませんが、良くわからなかったハイドンが、少しずつ好きになっていくのが嬉しいのです。
 十五夜?の夜、息子に「月がきれいだよ、見てごらん」と言うと「それが何になる」と投げやりに答えました。毎日を生きることに特別な理由や意味なんて無い。きれいな月を見ることにも、理由など無い。ただ、きれいだなぁと思うだけ。ファーチレで歌う事にも、別に意味は無い。歌いたいなぁと思い、楽しくて、ハモったら幸せだなぁと感じるだけ。それが私の生きる力になる。あんなに演劇に命かけていた息子が、全くやる気が起きないと言う。家族がいないのに、やる意味が無いと言うけれど、それは違うと思う。
 お風呂?に入りたがらない。お風呂に入ると最悪な気分になるからだって。理解不能。
今日は午後「森のみみせんコンサート」(うまい人は出てはいけない)です。かちゃ子・ナナ・ハッチ〜・ある子・シモンそして私で出ます。「アラベスク」のボディーパーカッションと、ハッチ〜の 「いつも何度でも」のハモリの他、昨日になって急きょ、ある子のオカリナ「カントリー・ロード」に、鍵ハモでちゃちゃ入れることになりました。ほぼぶっつけ本番です。良いのか、そんな安請け合いおせっかいして?
 昨夜はクタクタでした。楽しいことで疲れるのは良いことですが、それだけではないことは明白です。ほんとっ、疲れます。

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