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ニャンコ座リポート

私は女優? (8/21) 

2019年08月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 町のワークショップで出会い、いくつかの公演に参加させてもらい、CDのレコーディングまでしてしまった「劇団I’M」が、フィンランド公演のために出発しました。親しくしてもらったメンバーも何人かいます。成功を祈りますというより、私自身の心も誰かのリュックに入れてもらって、一緒に、旅立っているような気もします。サイトは→ここ 
 合唱バカの私が、歌うことの大転換に遭遇したのが、このI’Mでした。ミュージカルが好きだからのただ一点でワークショップに行ったのに、要求されたのは「合唱みたいにきれいな歌は要求していない?」の言葉でした。大いに戸惑い、心の中で反発し、たぶんそれは今でも解決はしていません。していないけれど、うまいこと使い分けたり、ブレンドしたりしているのだと思います。
 でも間違いなくI’Mを体験して得たのは「あがらないでソロで歌うこと」でした。それは、女優のように別人格になることです。むろん100%ではないです。でも別人になれれば、その物語のヒロインですから、恥ずかしくもなんともないのです。
 日曜深夜のお楽しみ「関ジャム」は、歌手と俳優の歌の違いでした。役によって全く歌い方が変わるとか、カメラ目線はしないとか、色々おもしろかったです。同世代の、大竹しのぶの「よいとまけの唄」が入りました。大竹しのぶは好きです。尊敬の念すらありますが、すごいと思ったり、やり過ぎと思ったり、複雑です。
 私はと言うと、合唱の時はあくまでベルカント(イタリア語 Bel Canto、「美しい歌」「美しい歌唱」の意)を目指しています。歌詞はとても大事ですが、歌詞を歌うのは「私」です。たまに白羽の毒矢が刺さるソロも、例外ではありません。2月に農オケと歌ったオペラではどうでしょう。クラシックはマイクを使わないので、やはり発声優先です。「アイーダ」でも「誰も寝てはならぬ」でも、歓喜の一般人や恐怖の一般人になり切る前に、美しい声を求めました。
 I’Mのミュージカル「卑弥呼」の時は、邪馬台国の民人「由任絵」(ゆにえ)。「由」ーいわれ、「任」−役割、そして「絵」―ありさま、光景、になっていなければ、恥ずかしくてやっていられませんでした。ミュージカルオタクなので、ミュージカル歌唱法は好きです。ゴちゃコンソロの時は、私は女優?、私を見て。そしてヒロインになり切って、歌を生きるつもりで歌おうと思っています。
 息子が生きて帰ってきてくれました。復活のきっかけどころか、まるで辛さが純粋培養されたかのような雰囲気を漂わせています。上田は、元気だったらどれほど楽しめたかと、残念がっていました。行ってきただけで、上出来です。
 今日はパーキンソン病院です。ニャンコ座の3ニャンの、スリーショット載せます。

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