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昭和37年の広報 (4/12) 

2019年04月12日 外部ブログ記事
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 今朝の「なつぞら」、天陽君とのシーンで又泣きました。どうしてくれるのよ。こう毎朝泣かされて。
 山田天陽君のモデルは、東京生まれで、家族で鹿追に疎開して農業を始め、お兄さんは芸大へ行くけれど、自分は貧しいので農業を継ぎ、絵を描続けるも、32歳で亡くなった神田日勝らしいです。遺作は遺作は「馬(絶筆・未完)」。ベニヤ板にペインティングナイフやコテで描く力強いタッチの具象画で有名です。天陽君は、東京に帰ってしまうのでしょうか。んなわけないよね、気になって仕方ありません。
 柴田家が立派過ぎて、違和感がありました。天陽君の家がひどくて、そうか、柴田家は極めてまれな、成功した開拓者(草刈正雄は明治末期に入植)と言うことなのだと納得しました。
 今日は、子供たちが「ポパイ」のアニメ映画を見るシーンがありました。ヒロインがアニメに目覚める、重要な場面です。
 ポパイですか。なつかしいです。日曜日の夜やっていましたね。スポンサーが不二家で、「ポパイザセーラマン お食事後の楽しい時は ポコちゃんペコちゃんとおんなじね」とかなんとかいう歌が入っていました。
 先日探し物をしていて、とんでもない発掘がありました。昭和37年3月の町の広報です。表紙に私が写っているので取っておく、と母が言っていた記憶がかすかにありました。薄くてペラペラのB版の紙で、あったのは1枚ですが、8ページ2枚セットです。印刷所は、今も町にあるお店でした。私は保育所の卒園間近、女の子は「なつぞら」の子たちのように、ブラウスとたすきの付いたスカート、お母さんの手作りが多いです。
 記事は、さほど今と違う感じでもないです。「自衛官募集」おんなじやん。興味深いのは「戸籍の窓口」です。毎月発行されているので、届け出は1ヶ月分です。出生が37人で死亡が8人です。その頃の人口は25,000人ほどで、最高に人がいた頃です。最新の広報によると、生まれるのは一桁、亡くなる方は、知らない間に記載されなくなっていて、人口は12,000人弱で、半分以下になりました。驚いたのは、「ご結婚お祝いいたします」欄があって、15組も結婚していることです。今なら、思い切り個人情報ですね。
 興味深かったのは「家庭計画で健全な家庭を」のタイトルです。要するに、受胎調節のススメです。あ〜、そんな時代だったのだ。書いてあることは、ごもっともです。
 ボロボロの広報にアイロンをかけて、頑丈なカースに入れました。「なつぞら」と「広報」、共に遠くなった昭和の話です。
 神田日勝記念美術館、今年はさぞ賑わうでしょう。私も行きたいです。
 

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