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真の勇気「私を最後にするために」 

2018年12月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


本屋で観た本の表紙が強烈に印象に残った。そこには一人の女性の写真とそのバックに「私を最後にするために」という言葉が書かれている。タイトルは、「THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語」著者は、ナディア・ムラドさん。● その中には10〜12歳の子供もいた普通に暮らしていた当時19歳の女学生だったナディア・ムラドさん。彼女は十一人兄弟の末っ子で、夢は自分の村で美容室を開くことだった。2014年 8月15日、イスラム国の戦闘員が大挙して押し寄せ、村に住むヤジディー教徒たちを「悪魔を崇拝する異端者」として拘束した。イスラム教への改宗を拒否した男性や老人たちは殺害され、ナディアさんを含む若い女性たちはイスラム国支配地域を転々とさせられた後にモスルへと連行された。モスル市内にある民家に63人のヤジディー教徒の女の子達が監禁されていた。その中には10〜12歳の子供もいたという。ナディアさんはセルマンという名前の戦闘員と結婚させられ、毎日のように性暴力を受けたという。与えられる食事はパンと缶詰だけ、病気になっても病院へは行けずに性暴力は続けられた。そのような苦難のあいだ、イスラム国の戦闘員たちは彼女のことを”汚れた不信心者”と呼び、自分たちはヤジディー教徒の女性たちを征服し、彼女たちの宗教を地球上から消し去るのだと偉そうにいい続けたという。「家の護衛や運転手からも性暴力を受け、時にはゴムホースなどで殴られました。そして他の戦闘員の相手を強要され、セルマンは戦闘員から200ドルを受け取っていました」● 思い出しては泣いていた11月、戦闘員の隙を突いて逃げたナディアさんはイスラム国を支持していない住民に助けられて支配地域から脱出することに成功した。しかしナディアさんの母親は、八十人の高齢女性たちとともに処刑され、目印ひとつない墓穴に埋められた。彼女の兄のうち六人は、数百人の男たちと一緒に、一日のうちに殺された。彼女は解放された後もイスラム国の戦闘員から受けた肉体的、精神的な深い傷は癒えず、夜になると思い出しては泣いていたという。その後、ドイツへと逃れたナディアさんはメディアを通して、イスラム国に捉えられた性奴隷の惨状を世界に向けて訴え続けた。2015年12月には国連安保理事会でイスラム国に受けた自らの体験を証言し、性暴力や人身売買を告発した。 23歳で国連親善大使に就任したナディアさんは勢力的にヤジディー教徒の現状を訴え続け、イラク国内の難民キャンプを訪問しては、被害を受けた人々を勇気づけてきた。イスラム国から命を狙われることを覚悟の上での勇気ある行動だった。● 法の裁きを受けるのを見届けたい国連親善大使に任命された日、彼女は次のようにスピーチしている。「私は人前で話をするようには育てられていない。けれどこの日、自分の体験を語り、それが終わったあとも話し続けた。どのヤズィディ教徒も、ジェノサイド(大量虐殺)の罪によりISISの告発を望んでいるのだと、世界中にいる弱い立場の人々を守れるかどうかは、あなたがた次第なのだと、それから、私は、私をレイプした男たちの目を見据えて、彼らが法の裁きを受けるのを見届けたいのだと、この場で伝えるために。そして、ほかの何よりも、この世界でこのような体験をする女性は、私を最後にするために。」ナディアさんは2016年に、ラミヤー・ハッジー・バシャールとともにサハロフ賞を受賞した。受賞時には次のように演説した。「受賞の報酬は、ジェノサイド(大量虐殺)は二度と繰り返さないという力強い言葉です。イスラム国の奴隷制と人身取引の被害者となっている私たちヤズィディー教徒への、6700人以上の女性、少女、子どもたちに向けた言葉です。」 さらに、そのような過激派組織「イスラム国」(IS)の性暴力を告発し続けた活動が認められ、2018年にナディア・ムラドさん(25)にノーベル平和賞授与が決まった。ISは掃討作戦で昨年ほぼ壊滅状態に陥り、既にムラド氏の故郷のイラク北部から撤退したが、今なお拉致された数千人の信徒は行方不明のままだという。   

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