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昭和東南海地震 

2018年12月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「戦災で埋もれた『昭和東南海地震】の記録と記憶を後世に残したい」と特別研究チームを編成して、資料集めをしているニュースがありました。
1944年12月7日午後1時36分、マグニチュード7.9の昭和東南海地震があったという事です。
海外では、地震のことが大きく取り上げられているのに、戦時下で、敗戦が危ぶまれた時期、大きな地震被害は秘密扱いだったようです。
強い揺れによる被害は、愛知県、静岡県、三重県の3県に集中。
津波による被害は、三重県の熊野灘沿岸の漁村が顕著だったそうです。
名古屋を中心とする中京地域には、多くの軍需工場が集中立地して、壊滅的な被害を受けたようです。
太田川や菊川などの河川周辺の軟弱地盤上の集落で多くの家屋が倒壊も・・・。
しかし地震が発生したのがお昼ご飯を終えたあとの時間で、出火が少なかった事。
天候も良くて倒壊家屋からの脱出や救出などが容易で戸外にいた人も多かった事。
日々防空訓練が行われており、地域の災害対応力が高かったこと、などが幸いし死者は、地震の規模や被災地域の広域さににもかかわらず、千人程度だったそうです。
姑から地震があったことは一回だけ聞いたことがありますが、舅は出征中、わが家の被害はなかったのでしょうね。
さほど驚いたとも聞いていませんし、母からも聞いたことがありません。
『磐田地震』」とか言っていたような気がしますがねえ。

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