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記憶遺産 

2011年06月02日 外部ブログ記事
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「記憶遺産」は、人類の歴史を記録した文書や絵画、音楽など貴重な資料の保存や公開を目的に、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が1992年に始めた事業で、これまでに「アンネの日記」やイギリスの「マグナ・カルタ」、フランスの「人権宣言」など237件が登録されている。
 
私は、日本人の炭鉱記録画や日記が「記憶遺産」に登録されたと言うことを、九州のブログ友達の記事で知ったが、先月27日の新聞記事を読んで、私のブログにもこのことを書き留めておきたくなった。九州福岡は私の出身大学もあり、父や祖父が生活した場所でもあるので愛着がある。
 
「記憶遺産」に登録されたのは、 福岡県飯塚市 出身の絵師、山本作兵衛(1892〜1984)の炭鉱記録画や日記で、日本人の作品が「記憶遺産」に選ばれたのは初めてである。
山本作兵衛は、福岡県中央部の筑豊地方のあちこちの炭鉱で働き、石炭産業にかげりが見え始めた昭和30年代、子や孫の代にも「ヤマ(炭鉱)の姿を伝えたい」と絵筆を執り、自ら体験した炭鉱の様子や労働者の生活を絵画や文章で記録した。主な作品に画文集「炭鉱に生きる」などがある。
 
山本作兵衛は明治25年、福岡県笠松村(現 飯塚市 )に生まれ、7歳のころから父や兄とともに炭鉱に入り、半世紀以上働き続けた。第一線から離れ、炭鉱の警備員として働き出した63歳のとき、「孫たちにヤマの生活や作業や人情を残しておこう」と思い立ち、絵を描き始めた。
炭鉱の様子や細々とした作業、仲間の生活ぶりなどについて、墨や水彩絵の具などで生き生きと描写しているが、美術を誰かに学んだわけではなく、絵はまったくの独学だった。そして、92歳で亡くなるまで書き続け、作品数は2千点にも及ぶ。
 
山本作兵衛の絵や原稿などの多くは 福岡県田川市 の 田川市 石炭・歴史博物館に所蔵されているが、 田川市 はかつて筑豊最大の炭鉱都市として栄え、「炭鉱節」発祥の地としても知られる。
石炭と言えば「黒いダイヤ」としてもてはやされていたことを思い出すが、私の小学校時代、教室には石炭ストーブもあった。火力発電の燃料としても長い間活躍していた石炭、蒸気機関車を走らせた石炭も遠い昔の物語になっている。そして、今や原子力の時代になり、あの石炭の燃える黒い煙は見えないが、人間の目に見えない放射能という怪物が世界中を脅かしている。
 
私は、山本作兵衛がまったくの独学で、しかも63歳という年齢で絵を描き始めたと言うことにも注目したい。まさに人生は60代から新しくスタートできるのである。
そして、山本作兵衛が亡くなって27年の月日が経過しているが、筑豊炭鉱画が国内初の「記憶遺産」に選ばれたことは、私たち日本人が今現在多くの事を考える上で何かの閃きを与えるに違いない。
 
 

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