YOLO ! 60代からの田舎暮らし♪

わが家は「明るい介護生活!」 

2018年09月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

生暖かい南風が強まってきた横浜です。
まだこちらはたいしたことはありませんが、皆さまのところはいかがでしょうか。
各地の被害が少ないことを祈るばかりです。
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つたないブログをはじめて12日。
雑記のようなとりとめのないブログを読んでいただけるとはうれしいです。
ありがとうございますm(__)m
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今日は母について、少し書きます。
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母は昭和11年生まれ、今年で82歳になります。
生まれたときから息をしていなかった赤ん坊だったそうで、
体育の時間はいつも見学してる子がクラスに一人くらいいますが、母はそんな子供でした。
兄二人、弟一人の一人娘でそれなりに大切に育てらましたが、小学校4年生のときに広島で被爆しました。
疎開していた二人の兄を除いて、祖父・祖母、母、叔父(母の弟)はみな被爆し、祖父はそのときに亡くなりました。
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母は18歳で父と出会い、21歳で私を生みました。

父というのがこれまた…また、別に書きますが、なかなか困った人でしたので、
母は苦労して私を育ててくれました。
「どんな亭主でも我慢して、家族のために生きる」という、すでに絶滅した化石みたいな生き方の母でした。
母娘というのは似ないものです。苦笑
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私が小学校2年生くらいから母は兼業主婦として仕事もしていましたが、40代で発病しました。
当初2,3年ははっきりと病名がわからず、あちこちの病院で診断を仰ぎましたが、結果はリウマチでした。
手遅れにしたのか、体質的なものか、母のリウマチはどんどん進行し、
人工膝関節を入れ、頸椎の手術も2回受けるなど、その半生は病気とともにありました。
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11年前に父が亡くなる前頃からは寝たり起きたりの生活になり、父が亡くなってからは自力では起き上がることができず、すべてのことに介助が必要な状態になりました。
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半分が病気の人生。
それでも母は決していじけたり、わがまま放題になったりということがなく、老いるにつれて子供のように可愛らしくなってくるのでした。
たまに「生きてるだけでシンドイ」と言うこともありますが、私は1日でも長く母に生きていて欲しいのです。
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何も言わない母ではありますが、
「人はどんな人生でも与えられた命を生きなければならない。」と身をもって教えてくれているような気がします。
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介護というとあまり明るいイメージはないですが、少なくとも我が家では「明るい介護生活」です。
介護できるのも、母がいればこそですから。

友だちと組んだチェロトリオ “ みっちぇろ ”で、昨年母の誕生日に
ミニコンサートをしたときの写真です。
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PS. 離煙2日目は無事に通り過ぎようとしています(^^)v
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