詩(short poems)

赤毛のアン-16 

2018年10月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

学校の先生が替ったことで息を吹き返したようにアンは変貌を遂げた。この事実に人間は環境から大きな影響を受けるってことが分る。それで思うのだけど茂木健一郎先生は誰に向けてこの講義を進めているのだろうか?ダイレクトに子どもへ向けた講義をしているとは思わない。それなら学校の先生向けの「100分de名著」だろうか?それはあるかも知れないが私には親世代へ向けた講義のように思われる。

どうしてこのようなことを述べるかと云うと伊集院光氏と茂木先生が「ひたむきさ」で盛り上がっているからです。ひたむきに取組むアンの姿勢は素晴らしい‥だから同じようにガンバレという叱咤激励は子どもへ向けて発せられるべきだ。環境へ向けて発せられる言葉としては適切と思えない。だから教育が専門の先生向きの講義かなとも思った訳です。先生の立場は己の責任を痛感して当然だよね。

作者モンゴメリーは諦めなかった、なんど失敗してもゴールに達するまでやめなかった‥それは分るのだが‥モンゴメリーは行動を起して継母に決別した。つまり、悪い環境を捨てて祖父母の下へ旅立った。ひたむきに生きるためなら子どもは気に入らない家を飛出すべきなのか?赤毛のアンは最初の先生のやり方を受入れられずに登校拒否した。お分りと思うが、環境は子供に大きな負荷をかける。

子供の未来の幸せを願うなら私たちは‥それゆえに悪い環境の改善に努めなければならない。この課題は子供でなく先生でもなく社会に責任がある構成員全てが負うべきものでないのかな?そうするとやっぱり講義は親世代へ向けたと述べたとおりです。アンはひたむきだ。だからそれがどうしたんだってならないか?アンのひたむきさを褒めてやったあとは、愛でたし・愛でたしでお終いなのかい?

ひたむきなだけで人生は開けないのよってモンゴメリーは実感した筈だ。ひたむきな子供は人生を謳歌できる‥これは親世代の課題・親世代の責任だろ?ひたむきな人がいて、そのひたむきな人を嘲う風潮があるなら?その風潮を広げている者たちに子供の親世代はどう対峙(たいじ)したら良いんだ?アヴォンリー村あってこそアンは大人へと成長することができた、そこから始めなければダメだろ?

モンゴメリーが社会に失望してたら社会に役立つ仕事をしただろうか?小説「赤毛のアン」は金儲けの手段でしかなかったのか?努力だけでは叶わないことはあるんだ。祖国カナダでモンゴメリーの才能は開花せず、それゆえに祖国を捨ててアメリカへ道を求めて、一気に才能は開花し始めた事実を軽視すべきだろうか?継母を捨て、祖国を捨て、そうやって彼女の花が開いた事実を知るのを科学という。

事実を無視して科学は有り得ない。科学でなければ妄想でしかない。他者の成功を眺めながら好かった好かったと祝杯をどれだけあげたところで我が家の花が開くのではない。モンゴメリーの「赤毛のアン」という課題を茂木先生が私の眼前に置いてくださった。この課題にひたむきに取組むアクティブラーニング(探求学習)を私は少しでも進められただろうか‥?そんなことを想って感謝している私。

世界は完全である‥ゆえに私はどんな課題にも有益に取組むべきなのです。さて、次回「赤毛のアン」第4回は最終回ですね。脳科学者・茂木健一郎教授の講義についていけたら好いなあ。(*´ω`*)



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