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北軽井沢 虹の街 爽やかな風

ラーメンの思い出 

2018年09月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し









久しぶりにスカッと晴れたが、買い物は私一人で出かけることになった。
有料道路の料金所では、助手席にいない家人のことを気遣う係の人にお礼を言う。
助手席にいるのだから黙っていればいいのだが、家人はいつも大きな声であいさつをするものだから、きっと名物婆さんになっているに違いないのだ。
10年もこの道路を通っていると係員の人たちともいつの間にか会話を交わす仲になっている。
メモを見ながらの買い物は、いつもより時間がかかる。行ったり来たりと無駄な動きも多い。
 
買い物後、軽井沢ショッピングプラザへ行った。あの黒斑山登山で無残な姿になったトレッキングシューズの代わりを買いに行ったのだ。スポーツ店にはなく、コロンビアというアウトドア専門店で靴とカッパを買った。10月4日、21日と吾妻狭のガイド研修に参加するための必需品だ。その後、錦というラーメン屋でラーメンを食べた。ここのラーメンは美味いが、価格もいい。1242円のラーメンは、美味くなくちゃたまらない。
その昔50円で食べられたラーメンが懐かしい。
 
ラーメンといえば、NHKの朝ドラ「半分、青い」の次は「まんぷく」らしい。
日清食品創業者・安藤百福夫妻をモデルにしたストーリーだという。
安藤百福はチキンラーメンの開発に成功し、「浅間山荘事件」をきっかけにしたカップヌードルで日清を世界企業へと育てた。
小諸にある安藤百福記念館は5年前から、スウィートグラスを運営する「きたもっく」の研修の場となっているので、何回となく訪れている。
 
高校時代私はすでに運転免許証を取得していた。当時は「小型四輪車」というのがあった。まだ軽自動車のない時代である。16歳で小型四輪を取って18歳で普通車の審査を受けるという、そんな時代があったのだ。こんな話をするともう化石のような人になりそうだが、私は友人と夜遅くラーメンを食べに行っていた。ある日、運転したがる友人に運転させていたところ検問に会い、数台の車が前に並んでいるのを幸いに車の中で運転を入れ替わった。窮屈な社内で入れ替わるのは大変だったが、おまわりさんはちゃんと見ていたようで、ニコニコしながら「今、入れ替わったね?」私は冷や汗を流しながら「あ、・・ハイ」と答えていた。何か事件があったらしく、私たちにかまっている場合ではないようで、助かったというお話である。そのころのラーメンはモヤシとネギとシナチク、チャーシューというあっさりラーメンだった。現在50円で何が食べられるだろう?

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