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「少女時代と戦争 。覚せい剤の力で防空壕を掘った私」を収録しました。 

2018年08月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



73年前の昭和20年8月7日、14歳の誕生日を迎えた私は、気管支炎を患っていました。
女学校2年生の私たちは、空襲で焼け落ちた軍需工場の灰の中から、真鍮の部品を探していたのです。炎天下で帽子もマスクもなしで灰にまみれていたため、熱と咳が出たのでした。


その8日後戦争は終わったのです。


女学校も空襲で廃墟になっていました。


焼夷弾が降ってこなくなってからも、飢えとの戦いは熾烈でした。


「戦争だけはやっちゃダメなんです」と言いたくて、今朝は、発するFMで、
「少女時代と戦争。覚せい剤の力で防空壕を掘った私」を、収録してきました。
26分では語りきれない思いでした。


もう一つ、戦争悲劇の「琴の稽古」も収録しました。


今日は雨で、台風が近づいていますが、87歳の誕生日を、安全なマンションで平和に迎えています。
73年間日本は戦争をしてきませんでした。
だから、年老いた今を静かに過ごせているのです。


今まで軍備を控えてきたから、敵視される心配がなかった。
しかし、憲法9条を捨てて、海外でも戦えるような軍隊を持ったなら、敵が出来てしまいます。
これからの戦争は核ではなく、テロだと思います。


テロを防ぐ力は全くない日本です。
長い長い海岸線はほとんど無防備で、今もスパイの出入り自由だと聞いています。
テロリストは簡単に入って来られるでしょう。
入って来なくても、ミサイルを若狭の原発銀座に撃ち込まれたら関西経済圏は壊滅しますね。


嫌われたらダメ、恐れられる存在になったら、危険は倍増します。
外国を敵視したら、向こうからも敵視されます。
平和憲法があって、「戦争しませんよ」と、はっきり意思表示できていたから、ベトナム戦争にも巻き込まれなかった。だから今まで表立って戦死者を出していない。


平和憲法がなかったら、ベトナムでもイラクでも、日本兵の戦死者がたくさん出ていたはず。


なんで73年間日本を守り抜いてきた平和憲法を変えたがるのか理解できません。


14歳から87歳まで、戦争に遭わなかったお陰で、飢えもせず静かに過ごせているのです。この平和を捨てたい人の気持ちがわかりません。


武力で平和は守れない時代でしょう。敵を作らない外交努力以外に平和を保つ手段はないはず。
憲法9条を高々と掲げて、「よその国を攻めたりしませんよ」と言っていれば、先制攻撃をされる心配はないはず。
インターネットの時代ですよ。非戦を掲げる日本を勝手に攻めたら、世界中から嫌われるでしょう。
生半可な武力を持って、外国に恐れられたら、テロにさらされ酷い目にあうでしょう。


日本の長い海岸線を、軍隊の力で守り抜けるわけが無いでしょう。
危ない国のレッテルを貼られては大変です。
軍隊なんてね、自国民を護れるものじゃありませんからね。
酷い目にあった我々世代が、黙っていてはならないと思っています。


争いの絶えない地球上で、立派な平和憲法を持っている唯一の被爆国として、世界中の争いを解決する役目を担うのが一番だと思います。
少数の心ある方々が、紛争地で平和活動をされていますが、国こそがそういうことをやるべきだと思います。
やたらよその国の政府にお金をばらまくのではなく、紛争地の人々の貧困を救うためにお金を使って欲しいです。
テロリストにならなくても家族を養える手立てを与えて欲しいです。


霞ヶ関のビルを爆破されたらどうなりますか? テロの恐ろしさを想像してみて欲しいです。
大きな軍隊を持ったなら、国民はテロの危険にさらされるでしょう。


今の平和を捨てたく無いです。
外交努力にこそ力を注いで欲しいです。


87歳まで生きられた婆の想いです。

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