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しもちゃんのブログ(おやじブログ)

司法解剖のわけ 

2011年05月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



5月の10日、義姉の姉妹たちがお顔を見るためお寺に向かった時。
葬儀屋さんから、「警察が遺体を調べたいそうです」と言ってきた。
なんで?
実は亡くなる2週間ほど前に、二男から暴力を受け脇腹に大きなあざがあったんです。
それを搬送先の病院から不審に思い、警察に連絡したようなんです。
二男は保護観察中の身 なおさら警察は黙っていません。私と妻以外は一旦、義姉の家に戻り私達は警察からここにいるように
指示を受ける。
数十分の検死が終わって、刑事さんから葬儀屋さんに遺体を解剖するので警察で預かると話があり、11日の火葬ができなくなっ
てしまった。結果は変死体として扱われたようです。
受け入れ先が見つかるまでは、警察で安置する… そんな 警察内部とのやり取りの後、受け入れ先が決まり東京の大学病院に
運ばれることになった。時刻は14時頃だから、当日運んでもその場ではしないらしい。
聞くと、早くて一晩は帰ってこないらしいし、そのため火葬の予約が取れないし 大番狂わせになってしまった。
いざ、警察に運ぶ際私たちも同行するようにとまた指示が出る。いろいろ聞きたいことがあるそうで。
いわゆる事情聴取。
警察ではいろんなことを聞かれました。二男がいつ頃、どんなきっかけで暴力をふるうようになったか? とか、その時の義姉の様子
はどうだったか?とか、延々4時間あまりの事情聴取でこっちはクタクタになるし、お腹も減ってくるし。
冷房の入っていない取調室で、暑いし… さすがに冷たいペットボトルのお茶を差し入れてくれましたけどね。
段取りの悪い若い刑事さんで、最初は会議室だったのが予約が入ってるからと他の部署の方から追い出され、交通事故の取調室に
移動し、時々どこかへ消えては帰って来て、あれこれ聞いてパソコンで調書を作成し、いざ印刷! って時に、印刷の設定が出来てい
なくて、エラーになるし、印刷したらミスってしまうし、用紙がなくなって取りに行ったりと
それで、印刷したのはたったの4枚。 どうなのさ
やっと解放されて、義姉の自宅に戻ったら姉妹達は買い物に出かけていた。
当の二男は相当不安になっていて、落ち着きもなく無口になっていた。自分の暴力が死因だったら、大変なことになってしまう。
義姉が亡くなった時、妻に「僕のせいだ!僕が悪いんだ!」と泣きながら言っていたそうです。
我々もどう言葉をかけていいのか分からないし。
そうこうしているうちに、警察から連絡があって亡くなった時に着ていた服が必要だから取りに行きます と、なったから二男はよけいに
混乱する。間もなく刑事さんが到着し、すでに片付け始めている義姉の持ち物から服を取り出したが、どうしても上着が見つからない。
証拠品リストにはエプロンとあるがそれがない。もともと義姉はエプロンはしないひと。立ち会っていた妻が服の写真を見せてくれたら
分かるから! と言えば、先ほどの刑事さんはもう検察に送っちゃった… なんて始末で、二男の不安をあおるばかり。
どうにか見つけ出し、提供しましたが二男は心臓が止まりそうだったでしょう。
姉妹達は火葬の当日、お骨を持って青森に帰る予定だったので、11日には帰ってしまう。
翌日、私が役所関係に書類を提出したり、届け出をしたりしているうちに警察から連絡があって、最初の診断書通り病死であったことが
判明し、二男はおとがめはなくなった。さぞ安心したんだろう 会話もするようになり、ご飯も食べるようになった。
やれやれ。しかし、義姉の火葬は12日はすでに予約で埋まり、13日は友引で火葬場はお休み、で、14日となったのです。
今日自宅に戻り、もう疲れました。おとといの夜から埼玉行って、子供たちのことでかけずり回って行ったから。
熊谷の施設に長男の面接ために送り迎えをしたし。
では、長文になりましたが、おやすみなさいませ。
 
 

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