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品川区大井町(NHK東京ディープ) 

2018年07月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 昨日の夜7時から、NHKの東京ディープと云う番組で「大井町」を取り上げていたので録画しておきました。大井町は私が生まれて育った処だからです。

 内容は高村光太郎・智恵子夫妻が一時期住んでいたことや、ゼームス坂の謂われ、
庶民的な飲み屋街、鉄道模型を走らせられる処、民謡会館等々があることでしたが、
ほとんど初めて知ることばかりでした。

 まあ、私は高校を卒業して暫くで東京を離れましたので、大井町の事を詳しく知る
機会は無かったのです。私が物心ついた頃は、港区の青山三丁目付近の銀行の建物の
裏に家を借りて、母、祖母、私、そして兄は小学校から田舎への学童疎開中でした。
 後で知るのですが、もう一人兄がいて、北海道のあるお寺に預けられていました。

 青山もB29による東京大空襲で焼け出され、リヤカーを引いて、大井伊藤町の伯父
の処へ転がり込んだのです。それから8月15日に伯父と押し入れの中で、天皇の放送を聞きました。そして翌年、私は戦後初の小学校新一年生となったのです。

 伯父さんに連れていって貰ったのだと思いますが、大井町駅前には一時期あった闇市が、一瞬の記憶として残っています。
 いろいろありましたが、高校へ通った3年間、日本光学(後のニコン)の工場の前
を通り、女子高校の前も通って大井町駅から新橋駅まで満員電車で通学しました。

 大井町駅から南へ少し歩くと「三ツ又」へ出る。昔は三叉路だったのだろう処で、
毎月何日だったか縁日があって、三又通りには露店が並んだ。私は飛行機が好きだったので、航空雑誌の古い物を数十円でよく買ったことを憶えています。

 母の病状が重くなって、赤飯が食べたいとのことで、大井町駅の陸橋を越えた少し
先の教えられた店へ買いに行ったことがありました。ここの赤飯が美味しいということでしたが、それから間もなく母は亡くなりました。私の16歳のときでした。

 もう、大井町駅周辺はすっかり変わってしまい、想い出に残る様な物も無くなって
います。私に自転車の乗り方を教えてくれた寿司屋の跡継ぎも、何年か前に寄ってみ
たら、お休みで体調が悪いとかお聞きしました。今はどうなっているのでしょうか。

 また、ぶらついてみたいと思っているのですが。         (おわり)

 
 

 

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