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靖国神社参拝 - お出かけ 

2017年01月06日 外部ブログ記事
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以前から気になっていた日本の終戦後の米国及び連合国による「東京裁判」に関してパール判事(インド人)の意見書を見て感銘をうけていた。 パール判事はこの通称「東京裁判」が勝利に傲る連合国の、今や無力となった敗戦国日本に対する野蛮な復讐の儀式に過ぎない事を看破し、事実誤認に満ちた連合国の訴追には法的根拠が全く欠けている事を論証し被告団に対する全員無罪と判決する意見書を公にされたのであります。そして偶然下記の文を知った。1952年、「世界連邦アジア会議」の講演のため再び来日したパールは、広島の平和記念公園を訪れた際、慰霊碑に書かれた「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」という碑文を通訳が訳すのを聞いた瞬間、不審と怒りに満ちた表情を浮かべたといいます。 そして彼はこう言いました。「ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落したものは日本人でないことは明瞭である。落としたものの責任の所在を明かにして、”わたくしはふたたびこの過ちは犯さぬ” というのなら肯ける。しかし、この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ」。 「ただし、過ちをくり返さぬということが、将来再軍備はしない、戦争は放棄したという誓いであるならば、非常にりっぱな決意である。それなら賛成だ。しかし、それならばなぜそのようにはっきりした表現をもちいないのか」。「原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような、この碑文が示すような不明瞭な表現のなかには、民族の再起もなければまた犠牲者の霊もなぐさめられない」。 これに対して、広島市の本照寺の住職が「過ちは繰り返しませぬから」に代わる碑文を所望したところ、パルは次のような「大東亜悲願之碑文」をしたためてくれました。 激動し変転する歴史の流れの中に 道一筋につらなる幾多の人達が 万斛の思いを抱いて死んでいったしかし 大地深く打ち込まれた悲願は消えない 抑圧されたアジアの解放のため その厳粛なる誓いに いのち捧げた魂の上に幸あれ ああ 真理よ あなたは我が心の中に在る その啓示に従って 我は進む1952年11月5日ラダビノード・パール話は長くなりましたが、是非パール判事の碑を見たくて東京九段にある靖国神社に出掛けました。未だ松の内なので結構な人々が参拝にいらして大きな鳥居をくぐる時に..

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