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孫の身代金支払いを拒否「ゲティ家の身代金」 

2018年05月27日 外部ブログ記事
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今から45年前の1973年、最愛の孫が誘拐されたにも関わらず、その身代金の支払いを拒否した世界一の大富豪ジャン・ポール・ゲティの実話を基にしたサスペンス。 ローマ警察が、身代金を払うつもりがあるか、とゲティに問い質した。「私の返事はノーだったが、それには二つの理由があった。第一の理由は、ほかにもまだ孫が十四人いた。身代金の支払いに応じたら、十四人の孫がいっぺんに誘拐の危機にさらされてしまう。                                    (中略)第二の理由はもっと大局的な立場での考えだった。犯罪者やテロリストの要求に屈するのは、不法行為や暴力の増加、まん延を助長するだけだ、というのが私の意見である」(『石油王への道―世界一の富豪?J・ポール・ゲティ回顧録』青木栄一訳) 誘拐したグループは、身代金を払わないことに怒り、四ヵ月たってから、ゲティの孫・ポール三世の耳を切り取って、ローマの新聞社に送りつけてきた。明快な論理で、身代金を拒否するのはいいが、この耳の切り取りの結果は、孫の母親にとっては気が狂わんばかりの事。 この映画を観て、筒井康隆の「毟りあい」という短編小説を思い出した。脱獄犯が会社員の家に妻と子供を人質にとって立てこもる。会社から帰った会社員は突然のことに混乱するが、逆にその脱獄犯の妻と子供を同じように人質にとって立てこもる。会社員は脱獄犯に言う。「お前がその家から出て警察に逮捕され、おれの女房と子供が無事であれば、どうもしない」 会社員は「真面目なサラリーマンがそれほど凶悪か思い知らせてやる」と、子供の小指を切りとり、脱獄犯に妻と子供を解放しないと今度は違う指を切り取るぞ!と脅す。一方、脱獄犯のほうも、会社員の子供の小指を切り取り送って、妻と子供を人質にしている会社員に送る。その残虐行為が双方を刺激しあいどこまでもエスカレートしていくという、笑うに笑えないブラックユーモア。 映画では、誘拐犯が医者を呼んで周りの仲間の男が暴れるのを押さえ込んで孫・ポール三世の耳を切り取る場面もリアルに描写している。これが、筒井康隆の「毟りあい」のようにエスカレートしないことを祈った。映画の内容が実際にあったことだと思うと、残酷な描写はそのままズシリと心に響いてきて見ているのがしんどくなるから。 ゲティは金を出す必要がないと思ったことには断固、支払いを拒否する。しかし、好きな芸術作品には金を惜しまない。その独特な冷酷さを描いていて、それだから時々写される景色のダイナミックさが人間の心の卑小さと比較されて心に染みてくる。 トラブルで降板したケヴィン・スペイシーの代役として、たった9日間の追加撮影でゲティ役を演じたクリストファー・プラマーの存在感は圧倒的だ。監督のリドリー・スコットは、代役をプラマーに決めた理由を「彼の名前は常にゲティ役の候補者のリストにあった。リストには2人しか載っていなかった。ケヴィン・スペイシーとクリストファー・プラマーだ。それで、僕はクリストファーに電話をかけたんだ」と明かす。 とは言うものの、ぼくとしてはやはりケヴィン・スペイシーの主役で見たかったというのが正直な感想。そのことはとても残念。また、映画を見終わった後では、この事件及び、ジャン・ポール・ゲティへの興味がとても湧いてくる。映画と同じタイトルの本も買ったので、本の感想も読み終えたら書きたいと思った。 参照:第43回ポール・ゲティ(その三)孫を誘拐されても身代金を払わない。PR:ゲティ家の身代金 (ハーパーBOOKS) 

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