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伝説の『借金王』・千昌夫 

2018年01月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


  遅ればせながら あけましておめでとうございます。仕事もスタートして2日目、どうにも調子が出なくてなんだかウツ状態が続いている。 ところで、スタートは前回に続いてお金と芸能人の関わりに関するお話。コロッケお得意の物まねでも有名な千昌夫、彼はバブル期には「歌う不動産王」、「ホテル王」と呼ばれるほど、世界各地にマンションやビルなどを所有していた。    当時、彼は「オレは学校に行ってないけど(高校中退)、オレの会社には有名大学を出た優秀な人材ばかりが揃っている」と自慢していた。一時はホノルルの殆どのホテルが千昌夫の持ち物と呼ばれるほどで、物真似でもよく「おら金もってんどー」 というネタが使われた。  ● ほくろは取らないほうがよかった千昌夫の物まねではコロッケがよく額に大きなほくろをつけて真似ていた。2000年に開運の意味も込めてレーザー手術で除去している。その後、細木数子にほくろは取らないほうがよかったと指摘されている。なおコロッケはその後もほくろありの千昌夫の真似をしている。 千昌夫は、1965年、作曲家の遠藤実に入門。同年9月5日、「君が好き」でデビュー。「星影のワルツ」(1966年3月24日発売)が1967年秋頃より大ヒット、ミリオンセラーとなり、1968年『NHK紅白歌合戦』に初出場する。その後、2011年まで合計16回の紅白出場となる。  2011年には東日本大震災で生まれ故郷である陸前高田市が壊滅的な被害をうけたこともあり、久しぶりの紅白歌合戦に出場した。1979年、1977年4月5日発売の「北国の春」が大ヒット、二作目のミリオンセラーとなり、第21回日¥本レコード大賞ロングセラー賞受賞。  ところで、千昌夫と金の関わりは今から40年ほど前に「星影のワルツ」の大ヒットにより多額の印税が舞い込んだことから始まる。不動産投資家としての千昌夫は1970年にデビューした。その印税を元に仙台郊外に2万坪の土地を4千万円で購入したことが投資家へのスタートとなった。  投資したこの4000万円が、東北新幹線の計画もあって2年後には10倍の4億円(今の価値で言うと40億円ほど)となっていた。彼は不動産会社を設立し、歌手から事業家へと転身。最盛期には総資産で2千億円にまで達し、”歌う不動産王”として世界にその名を轟かせた。  ● 99.9パーセントの棒引きしかし、バブルが弾けたその瞬間から各不動産の担保価値が急降下。借入金は増す一方。1091年の段階ですでに負債額は2500億円に達した。2000年、千昌夫はついに東京地裁に特別清算を申し立てる。  再生計画案によると「債権者に6年かけて、およそ1億6千万円を返却する」とあり、この案はすべての債権者に了承してもらった。実に99.9パーセントの棒引きをしてもらった計算になる。彼に膨大な金を貸していた日本長期信用銀行は破綻へと追い込まれている。  普通なら自分も自己破産するものだが、千昌夫は違っていた。民事再生法を個人で適用し、裁判所に営業で稼ぐ額から妥当な返済額を決めてもらい、“焼け石に水”ながらも返済を続けることにしたのだ。一般的には自己破産した方がすっきりするし、再起も図りやすいとされる。後に「なぜ自己破産しなかったのか」と芸能ジャーナリストの城下尊之氏が千昌夫に尋ねてみた。  「借金を踏み倒せば、お客さまは納得してくれない。わずかずつでも返しているとなれば、『しょうがないヤツだ』と言いながら足を運んでくれるかもしれない……」  現在は、すっかりキレイな体に戻ったと予想されるが、日本芸能界史上最強の”借金王”という伝説は残った。次点の小林旭(51億円)を二桁の上回る堂々たる記録との事。  でも、こんな記録だけは誰でも持ちたくないと思うだろう。 

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