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芸能人のブランドはまり・泉ピン子 

2017年12月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


色々な意味で、芸能界とお金のトラブルというのは、とても密接な関係。以前に小林旭と借金に関して書いたが、そのシリーズの続きを書いていきたい。 「借金」と聞くと、「ギャンブルや酒、女」、そして自暴自棄になって家庭で「暴力」という実にありふれたイメージがわいてくる。しかし実際には、いろいろな原因があるようだ。芸能界にも借金で苦しむ人の話しを週刊誌で読んだりする。   ● 海外のギャラは1銭も入りませんずいぶん古い話しになるが、約30年ほど前にバリ島に行ったときに、現地の人がドラマ「おしん」を見ていて、日本人と聞くと何人からも笑顔で「おしん」と答えが返ってくることに驚いたものだ。世界中にこのドラマは受け入れられていると・・・。 調べてみると、まさしくその通りでスリランカ、インドネシア、台湾、香港、アフガニスタン、シンガポール、エジプトなど世界68ヶ国で放送され、「世界で最もヒットした 日本のテレビドラマ」とされているという。 アフガニスタンやイランではペルシャ語吹き替えにて放送されたが、イラン国営テレビでの 放映が最高視聴率90%超を記録する爆発的人気となり、 長きに亘り『Oshin(ウーシン)』は日本を表す代名詞となった。 今年の9月30日放送のTBS系「ジョブチューン〜アノ職業のヒミツぶっちゃけます!」に泉ピ ン子が出演し、最高視聴率62.9%を記録したNHK「おしん」のギャラ事情を打ち明けた。ちなみに、「おしん」はテレビドラマの高視聴率記録となっている。  泉ピン子は世界68の国と地域で放送された名作にもかかわらず「海外のギャラは1銭も入 りません」とぶっちゃけると、出演者は「1円も?」 と驚きを見せた。これに、タレントの関根勤(64)は「橋田先生もでか?」と問うと、「橋田先生は原作者だ もん。入ってるでしょ」と不機嫌気味に答えたという。  このドラマは貧しさと闘う伝説のドラマだが、当の出演者の泉ピン子が過去にブランド漁りで借金にまみれていたとは皮肉な話しだ。  ところで、泉ピン子はどのようないきさつで、芸能人になったのか。泉は漫談師・牧伸二に師事した。牧伸二は2013年4月29日の深夜0時、東京・大田区の丸子橋から多摩川に身を投げて亡くなった(享年78)。  生前の牧さんを知るお笑い関係者は「牧さんは以前、水泳が好きだった。その彼が川に身を投げたというのは、覚悟の自殺だと思いますよ」と言う。その彼を師匠とし、18才のときから付き人をしていたのが泉ピン子だった。 だが、泉は雨の時でも傘をさすことすら許されず、牧さんの荷物持ちをさせられた。地方キャバレーのドサ回りの際も、彼女には宿も用意されず、キャバレーの楽屋で寝泊まりした。さらに給料は月8000円だったため、家賃の8000円を払うとお金が残らないため、深夜は皿洗いのバイトをしていた。  牧さんは「そんなことは当たり前」と泉を突き放したが、泉ピン子は「師匠は何もしてくれない」と嘆いていたという。 ● レポート内容が下ネタ中心1966年に歌謡漫談家として芸能界  デビューを飾る。(当時の芸名は「三門マリ子」(みかど マリこ))売れっ子の師匠と違って キャバレー回りが続いた。1975年に日本テレビ系列「ウィークエンダー」の番組レポーターを担当したのを機に、改名し「泉ピン子」となる。この芸名は芸能人であることをずっと反対していた父親が『芸人にはピンからキリまであるのだから、志しの一番なピンの芸人になれ』と、彼女に話したことからとの事。  『ウィークエンダー』は出演者に欠員が生じたところ、その話しぶりの面白さに目を付けられて起用された。この番組で初めてのレポートは豚のセックスであり(本人は「牛のオッパイも嫌なほど可憐な女の子だった」と言っていた)、以後もゲイバー、ストリップなどレポート内容が下ネタ中心になっていた時も一時期あったことから、新日本婦人の会が選ぶ「ワーストタレント1位」に選ばれたこともあった。 その後、女優業に転身する。泉は1983年、女優としてNHKの連続テレビ小説『おしん』に出演し、大ブレーク。 同作の脚本家・橋田壽賀子さん(87才)に認められ、“橋田ファミリー”の一員として、ピン子はその後、橋田作品に数多く出演するようになる。が、一気に売れたことで、この頃のピン子は金銭感覚がマヒしていた。 ● ブランドものに目がなく借金を続けて 「ブランドにはまってしまい、“全身シャネル”といわれるほどシャネルのバッグや靴を買いあさるようになって…。当時、ブランド品を買うために事務所に借金するのは当たり前で、貸すのを渋ると、“誰のおかげで事務所が食えてるんだ!” と怒りだしたそうです」(芸能関係者)  「出入り禁止にまで宣告されたシャネルを筆頭に、エルメス、グッチ、ルィ・ヴィトンなどブランドものに目がなく、気に入ればすぐに買ってしまう。その殆どを、事務所に立て替えて貰っていたと聞いてます。 カードの毎月に支払いも青天丼で、一千万円近くにものぼる時もあったみたいですよ」(芸能プロ関係者) ピン子はこれだけに飽き足らず、事務所に数百万円の工面を要求していた。事務所側がこれを拒否。それと同時に肩代わりしていた公共料金の支払いをストップ。その結果、電気や電話が止められ、ピン子は激怒。事務所からの独立を宣言する。 翌年、事務所側は「ピン子の借金は3億5千万円」とテレビや雑誌に公表し、事務所側が立て替えた3億5000万円の返済を求めて東京地裁に提訴する。20回以上法廷が開かれたものの、どこまでがピン子のギャラでどこから借金なのか遅々として進まなかったとの事。この訴訟は和解となった ● ホテルの窓から)飛び降りちゃいそう泉ピン子は1989年に、消化器内科医の武本憲重氏と結婚した。結婚はしても結婚式は挙げなかったという。テレビ朝日系列『最終警告!!たけしの本当は怖い家庭の医学』にゲスト医師として出演したり、泉主演のTBS系列ドラマ『女子刑務所東三号棟』の医療監修を行ったりしている。夫と出会ったのは40歳くらいの頃で、結婚を後押ししたのは友人である西田敏行だったと言う。 38歳の時に夫と初めて出会ったピン子は、「私、この人と結婚するかも!」と感じていたという。2人での食事を重ねていく中で、夫はピン子の弱い一面を見て、「結局寂しさがあると思うんですね。一生懸命頑張っているんだけど、話して打ち明けるところがないので、精神的には孤独だな、みたいな」と感じ、ある思いが芽生えていったという。 しかし、当時のマスコミが夫の両親からの反対を面白おかしく書きたて、夫は一般人にもかかわらず全国に顔が晒されてしまう事態に。さらに、結婚してから3年後にはピン子が「ほんと、主人のパジャマをつかんでいないと (ホテルの窓から)飛び降りちゃいそうになるんですよ。どうしてこんなに書かれるんだろうって…」と、落ち込むような試練が訪れる。 泉ピン子(70)が今年の11月20日、都内で行われた求人サイト『Indeed勤労感謝の日直前 イベント』に登場。老化に関して、このような発言をしている。  「70になると顔と名前が一致しないの。あと『渡る世間は鬼ばかり』の長ぜりふも、昔はすぐに覚えられていたけど、今は1ヶ月くらいかかりますね」とポツリ。「ベテランで先輩になるとNGも出せないから、ツラいのよ」と嘆きながらも「だけど、若いもんに 『あんなNGばっかり出すババアを呼んできて』って言われると腹立つじゃない。そんなのが耳に入ってきたら、即引退だなって思う。この歳になると、あと何本できるかわからないから…」と決意をにじませた。 参照:泉ピン子(ウィキペディア)   泉ピン子、「おしん」の海外放送分ギャラ推定2億算出に激怒「1銭も入りません」PR:連続テレビ小説 おしん 完全版 少女編 〔デジタルリマスター〕 [Blu-ray]   

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