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中井悠美子「四季の絵文日記」

Vol. 859 種田山頭火の句はお好きですか? 

2017年08月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



   
   R防府駅てんじんぐち(北口)前にある種田山頭火像  日本中を托鉢して歩きその一生を終えたのですね。

   彼は、1882年(明治15年)12月3日 山口県佐波郡西佐波令村第百三十六番屋敷
   (現・防府市八王子二丁目十三)にて大地主・種田家の長男として生まれる。

   
   生家跡だそうです

   彼は自分の人生を「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、
   そこから句が生まれたような一生だった」。山頭火は晩年の日記にそう記した。
   その時には、すでに無一文の乞食であった。その境遇は山頭火自らが望んだものだった。
   と、言うことですが、幼い頃に自死した母から受けた影響は大きかったことでしょう。
  
   私が「山頭火」知ったのは26歳の頃であったと思います。
   松山近くを故郷とする友人との松山への旅で知ったのでした。
   旅は  昭和48年頃
   その当時「終焉の場所となった一草庵」は何方かがお住まいであったように記憶しています。  
   
   さて、その一草庵について
   彼は以下のように書き残しています。
     「一草庵記」 昭和15年(1940)年5月
     わが庵は御幸山すそにうづくまり、お宮とお寺とにいだかれてゐる。
     老いてはとかく物に倦みやすく、一人一草の簡素で事足る。
     所詮私の道は私の愚をつらぬくより外にはありえない。
       ***  おちついて死ねさうな草萌ゆる  ***
     荻原井泉水とともに、5・7・5にとらわれない「自由律俳諧」を読んだ代表的な一人ですね
   
   
   一草庵
   
   現在は整備され、市民の憩いの場所となっているようです。
   内部見学も出来るようです。9月には訪ねて見ようと思っています。

   http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic41.html
   こちらのサイトは、興味深く詳しく彼の一生をたどっています。
   ご興味がおありでしたら是非ご訪問下さいませ。

   分け入つても分け入つても青い山
     晴れたり降ったり青田になった
   私の特に好きな二句です

   人生はなかなか思うようにはならないけれど
   倦まず弛まず・・・生きてゆこうとこの句を思い出しては自分を励ましているのです。

   さて、皆様本日もご訪問頂きありがとうございました・・・
   

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