ウイールマン

手術後3日目 

2017年04月23日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

手術後3日目に最初のドクターチェツクアップ。

3日間は手術後特有の微熱や頭痛になやまされた。
 
いつもベッドの上に寝ていたのが原因なのか、起き上がるときに起きる眩暈。まるで風邪をひいた時の症状。

あの麻酔のせいか思考能力がかなり鈍くなっていると同時に、心の落ち込みがかなりある。

傷の痛みは、ほぼなくなってきているが、よく歩く事が出来ない。
トイレに行くのも松葉杖を突いて、ゆっくりゆっくり。

然しこの3日間でかなり松葉杖で歩くコツを覚えた。

だんだん歩き方にぎこちなさがなくなり、ゆっくりだがうまくバランスを取れるようになって来た。

片足での生活がこんなに大変だとは夢にも思わなかった。

以前肩の骨折の時も不便な思いはしたが、ただ使えなかったのは左手のみ。
不便ながら日常生活にはそんなに支障はなかったのだが。

片足が使えないので普通の日常生活がこなせない。

何時も両手は松葉杖でふさがりっているので使えない。

両手が使えるのは椅子に座ってる時だけか、片足でうまくバランスを取ながら、ちょっとの事しかできない。

コップ一杯の水すら自分自身で運べない。

苛立たしくなり、また情けなくなる自分がいた。


ドクターオフイスに行くため、手術後初めて外に出る。

家の階段を下りるのも一苦労。

しりもちをついたまま、一段一段づつ這いながら下りる。

ドクターオフイスに行く途中、何時も走るロードに出会う。


暫く会っていなかったこのロード。懐かしかった。

いつもならこの時期この時間、風になり太陽の下走っていたロードだ。

いつものように走りたかった。しかし今は、、、普通に歩くことすらもできない。


駐車場からドクターオフイスまでは30メーターくらい。

最初は松葉杖で30メーターも歩けるのか不安だったが、気合を入れて歩き出す。

さんさんと耀く初夏の太陽の下、うまく歩けてとても嬉しくなる。

30メータくらい歩けてこんなに嬉しいなんて。

ドクターオフイスでアシスタントが手術直後に付けたソフトキャスト(ギブス)をとる。

傷口が現れる。

これまあなんとしたことだ。10センチくらいの醜い傷口が現れる。何針どれだけ縫ったのか。

勿論洋服の縫いしろのように、きれいには縫えてるわけはない。

ぬったところがデコボコになってる。

まあ仕方ないとあきらめる。 

誰に見せるわけでもないし、醜い傷口が残ったところで
また歩けるようになることが先決だ。

そしてドクターが入ってきて、足のチェックを始める。
でも乱暴に傷口や足のチェックを始め一言。

?言った事をよく聞いていなかっただろう“と
まだ足の腫れがかなり残っているようだ。

手術後は足を出来るだけ上げていなければならないそうだ。

出来るだけ血行を悪くすることにより,腫れる程度を少なくする。
然しながら誰もそんな事は言ってはくれない。

日本なら当然2-3日以上入院するような手術。病院にはそれなりの設備もあるし、看護の勝手知ったナースがいる。

アメリカではこのような手術の後自宅に帰らされる。

そして枕などを足の下にひいて足を高くし、そうしてベッドの上に寝なくちゃいけないそうだ。

手術前にもらったパンフレットにも多少そのようなことが書かれていたがそれは痛みがひどくなった時はと書いてあったので、あまり気にはしてはいなかった。

まあ今さら言ったところで仕方ない。

これからはそうするしかない。 何事も経験だ。

そしてドクターに

“少し手術した足にウェイトをかけて歩いていいのか。そうしないと歩き辛い”と聞いたところ、


”とんでもない。
4週間はその足にウエイトをかけて歩くことは厳禁だ。

そのようにこの前言っただろう“ と怒られる

この前は3週間だと言ってたのに、いつの間にか1週間増えてしまった。

この機嫌の悪いドクターはバリバリの体育会系のよう。

オフイスに行くとあちらこちらに有名なプロスポーツ選手のサイン入りユニフォーム。

そしてそこには 完治させてくれて有難うの文句が入っている。

随分プロスポーツ選手の治療に関わったようだが、
こちらは猛牛のようなプロのスポーツ選手でもないただの普通の老人だ。

そのように扱ってほしかったが、今さら同情などしてほしくない。

それなら新たなチャレンジとして、ぜったいはやく治してみせると何となく闘志がわいてきた。

今は速く走れるようになるなんて考えてはいない。

何とかして普通に歩けるようになる事だけが新たな挑戦。

然しこんな大怪我をしてしまいとても落ち込む。

この事から残り少ない人生の何を学べるのだろうか。



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