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東京大空襲(3月10日) 

2011年03月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 今年も3月10日がやって来ました。
 毎年同じことを書いていますが、このブログが続く限り、3月10日には東京大空襲のことを書くことでしょう。
 
 私達が焼け出されたのは、3月10日かその翌日の空襲だったのか判りませんが、周囲は見渡す限り赤々と照り映えて、銀行の地下のコンクリの防空壕に居ては危ないと大人の方達が相談して、青山墓地へ向かいました。
 途中の家々は潰れて燻ぶっていた記憶がありますが、強制疎開で壊されていたのかも知れません。
 
 もの凄い火の粉が飛び交って、墓地の木々に燃え移らないかと皆さん心配している様でした。
 広い墓地も満員で、不安の中で夜明けを待ったのでした。
 
 夜が明けて家の処へ戻ると、完全に燃え尽きていました。焼け残った学校で炊き出しがあって、焼け焦げたお米も混じったおにぎりを食べたのを覚えています。それでも御馳走でした。もう何日もご飯などは食べていなかったのですから。
 
 そこへ行く途中にはコモを被せた焼けて小さくなった遺体が転がっていました。
 いち二日後でしょうか、焼け焦げた遺体を無造作に積み込んだトラックが走り去るのを見ました。
 
 それから品川は大井の伯父のところへ転がりこみました。
 天皇の「玉音放送」は、伯父と押入れの中で聞きました。ちょうど上空から飛行機の音が聞こえてきたからです。
 私は終戦の翌年、戦後最初の新一年生となりました。 

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