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兵庫県南部の島

3日の写真 

2017年01月05日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

3日は播磨灘に面した西浦県道を南下して、南あわじ市の福良まで原付バイクで行った。その時の写真も整理した。

西浦の海岸は風浪があり、バイクのスピードも落としての走行だった。鳥居のある所から北部を見た時に、遠くに私の畑の地区も見える。
小島が見えるところは丸山と言うが、一の谷の戦に敗れた平家がこの海域を落ち延びていく時に、平通盛の戦死を聞いた身重の妻の小宰相の局が入水自殺して、その死体がこの丸山に流れ着いてきて、地元の人が山の上に埋葬したと言う、伝説がある。
もう少し南下すると、異形のアンモナイトのモニュメントがある。ここでは以前に、このような化石がよく出てきたからである。
海岸に大きな魚の死体が転がっていたが、強い風で流されてきたのかもしれない。

さらに南下して、鳴門海峡大橋を過ぎてから、山の中に入ると太平洋戦争の時代まであった守備隊の建物跡が残っていた。3日はこれを確認したかったのだが、付近一帯がジャングル状態だから、それなりの準備が必要だった。またいつかに探したい。レンガの建物、石組、炊事場もあった。
この付近の海岸から見えた小島は王園と言う。左の方に、つるしま城跡がある。平家が源氏に都を追われて、福原に都を造る前後に、淡路に源氏の勢力ができて、紛争になり、平教盛がつるしま城の源氏方を攻めて、追い落としたと言う。平教盛が強弓を使い、岩に矢が刺さったと言う矢切岩の伝説もある。

淡路島には伝説・伝承が多い。小宰相の局の墓と言われるものが淡路の西淡にあるが、鳴門側にも墓がある。、屋島までの各地にもあるかもしれない。



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