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96際の遺言をあらためてご紹介します 

2016年08月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

明日で、日本がぼろ負けした日から71年になります。
酷かったんですよ! 東京の街も焼け野原でね。想像してほしいのです。戦後生まれの皆様にも。

戦争が終わったあの日、14歳になったばかりだった私。それからの飢えとの戦いは凄まじいものが有りました。

同じころ、28歳の久米 ?さんは、二人の幼子と、自分の母をを抱え、住むに家無く、東京の街を転々としていました。

私のブログの以前からの読者の皆さまは、とうにご存知ですが、最近来訪して下さる方も増えていますので、あらためて「96歳の遺言」をここでご紹介させていただきます。


三年前、病院で知り合った96歳の久米 ?さんから、戦中戦後 のご苦 労を聞いて、書き残さねばと思った私。彼女が亡くなる4か月前に取材させていただいて書き上げたのが、「96歳の遺言 戦争だけはやっちゃダメ」です。

このブログでそれを読んだイラストレーターの木村彩さんが挿絵を描き、彼女のお仲間が5人も集まって、無料の電子絵本に作り上げてくれました。それから私の朗読を録画して、YouTube版の電子紙芝居にもしてくださいました。
無料で読むことも聴くこともできます。「96歳の遺言」こちらからご覧いただけます。
朗読にも挿絵がついています。先ずは私が久米 ?さんの代弁をしているのを、聞いてください。

昭和20年4月13日夜、池袋も須鴨も、火の海だったのですよ。

これは、久米 ?さんが、2歳半の次男を背負って、須鴨で焼夷弾の大火災の中を逃げ惑ったとき、着ていたねんねこ半纏に火がついて、脱ぎ捨てたけれど、子供の着物も焼けて背中に火傷を負ったその時の子供の着物です。息子さんの背中には一生火傷のあとが残りました。


戦争は、女子供も容赦なく殺戮するものです。
焼夷弾はね。ざらざらっと音を立てて、雨のように降ってくるのですよ、火がついた状態で。ナイヤガラ花火の真下にいるような感じです。
その恐ろしさは、平和の時代に生まれた皆さんには、なかなか伝わらないでしょうね。

美しい銀の翼の爆撃機の大編隊から焼夷弾を何千発もばら撒くのですが、その一発から38個の焼夷弾が飛び出して、火がついた状態で降ってくるのです。何万発のしっぽに火のついたガソリンゼリーみたいなものが、ざらざらと降ってくる有様想像してみて下さい。

戦争は敵も味方もたくさん死ぬし、生き延びても食糧難で飢えと戦う羽目になる。それが戦争です。今も世界に多くの難民を生み出している戦争。家も食料もなくさまようことを,想像して下さい。安易に戦争を賛美など出来ないはずです。

安倍総理や,稲田防衛大臣などに騙されないでください。昭和初期の日本人は、時の政府に騙されて,ひどい負け戦に巻き込まれた。騙された我々庶民にも「騙された責任」が有ったのです。そこのところをちゃんと総括していないから、今の庶民も騙されやすくなっているのではありませんか?
騙す方はもちろん最悪だけれど、まんまと騙されちゃう人にも責任はあるのです。
政府は往々にして国民を騙すものです。五感を研ぎ澄まして、騙されないように、政治家たちの嘘を暴いていかなくてはなりませんね。


その為にも、戦争未亡人久米けいさんの一代記を聴いてください。





















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