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八十代万歳!(旧七十代万歳)
「戦後」はいつまででも続いて欲しい
2016年08月15日
テーマ:テーマ無し
今日で戦後71年。71年間の平和は実に誇らしい。幣原喜重郎総理が提案したという「憲法9条」があったからこそ、朝鮮戦争にも、ベトナム戦争にも、一兵も出さなくて済んだ。71年間戦死者を出していないのは、平和憲法のおかげ。でも次の戦争を始めたら、「戦後」は終わってしまう。何時までもいつまでも「戦後」のままでありたと切に思います。
昨日は、戦争で夫も住まいも奪われた、久米さんの苦闘を読んで欲しい、聴いて欲しいと、「96歳の遺言戦争だけはやっちゃダメ」をこことFacebookで、紹介させていただきました。Facebookでは、今朝1年前の私のブログも、あらためて紹介させていただきました。
すると、何人もの方々が、昨日今日の二つの記事をシェアしてくださいました。
Facebookは不慣れなもので、いちいちシェアのお礼を申し上げていません。
シェアしてくださった皆様有難うございました。
私という子供にとって戦争は何だったか?
ヒステリックな在郷軍人や町会役員の命令が、ことごとく馬鹿げていたことを、軍国少女であっても気づかずにはいられませんでした。
小さい家が密集している地域で、一家に一つ防空壕を掘れと命じられ、軍需工場に徴用されているおじさんからヒロポン(覚せい剤)を2錠もらって飲んだ勢いで、一人で狭い庭にから縁の下にかけて、穴は掘りました。でも、穴の中で蒸し焼きになるのは恐ろしいと、私は絶対に入らなかった。 空襲の時防空壕に潜っていなかったらヒステリックに怒られるけれど、こっそり庭の台に乗って南の空を睨んでいました。
昭和20年5月25日、銀色に輝くは大編隊がこっちに向かってきました。
すぐそばまで焼夷弾の雨は降り、同級生のお父さんは、屋根付きの立派な防空壕の中で、不発の焼夷弾の直撃で死にました。
そんなことになっているとは知らないまま、火が迫る前に黒煙が迫ってきたので、みんなてんでんに逃げました。隣組がまとまって行動するなんて、ありえないことでした。
もし家に焼夷弾が落ちたら、バケツリレーなんてやってるひまはありません。逃げられたら幸い。
女子供を集めて火を消す訓練をさせたけれど、そんな事やってはいられません。雨のように降ってくる焼夷弾にはナフサのゼリーが入っているのだから、油火災は消しようがないのです。
女学校二年生の私は、勤労動員で工場の焼け跡で部品を拾う仕事をしていました。炎天下で、埃を吸い込んで気管支炎になった時に、敗戦を迎えたのです。
いずれは焼かれると思っていた家が残った安堵感、片道4キロ歩いて工場に行かなくて良くなったという思いが大きかったです。
負けたから、何をされるか分からないぞという噂話も気に留めませんでした。焼夷弾が降ってこないなら、なんとかなるさと度胸は据わっていました。
その時はまだ、猛烈な食糧難に襲われる事も、インフレで、父の遺産が消えてしまう事なども、予想だにできないでいたのです。
戦後の方が治安も悪く、ひどい時代になりました。
食料の配給が遅れて、闇市の食料も買えなくて、体重39キロ、背丈は147センチで止まってしまいまった私。かなりの栄養失調でした。道端の草も食べ尽くし、かぼちゃの葉の茎まで食べましたが。
結局女学校を辞めて14歳から働きづめでした。中学に入学したのは70代になってからだったのです。
しかし戦後の日本は、朝鮮戦争で儲かったりして、どんどん復興、私個人の暮らしは楽にはならなくても、世の中は安定し、普通に食料が買えるようになりました。
それからずーーーっと戦争がないから、働けるだけ働いていたら、飢える心配はありませんでした。
戦争がなかったから、年金制度も出来て、まともに働き続けられた我々世代は、老後の支えを受けています。
ベトナム戦争や、その後の何度もの戦争に巻き込まれていたら、こんなにゆったりはしていられなかったでしょう。
それは全て平和憲法のおかげです。
その憲法を壊したがる人たちは、頭が狂っているとしか私には思えないのです。
71年続いている「戦後」が永久に続く事を願っています。
平和憲法を守ること、何よりも危険な、緊急事態条項を作らせないことが、最も大事だと思っています。
焼夷弾の雨を見た婆ちゃんは強くそう思うのです。
戦争末期には物がなくなり、飼い犬まで無理矢理奪って、毛皮にしたのですよ。
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