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平和憲法を守る___87年前の新聞記事に思う 

2016年05月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

憲法記念日ですが、先月から特に膝が痛くて、集会にもデモにも行かれません。

戦後70年、朝鮮戦争にも派兵を免れ、ベトナム戦争にも誰一人参加させられないで済んだのは、平和憲法があったからでしょう。
そのありがたい憲法を捻じ曲げて、イラクに派兵しても、一兵も失わなかったのも、まだ憲法が生きていたから。
長年国を守ってきたありがたい憲法を、壊したがっている輩から、日本国を取り戻すために、頼れる野党を作りたいですね。











夫が「処分したら?」と引っ張り出した段ボール。10年前の引越しで、箱詰めしたままの雑誌と、スクラップブック。
父のスクラップブックは他にありますが、これは知らない人が昭和4年から5年にかけて新聞記事を貼ったもので、なぜウチにあるのか記憶にありません。
昭和4年よりとありながら、大正12年や昭和6年の号外まで混ざっていて、日付のないものなど、分かりにくい作り方になっています。

でも、中に興味深い記事がありました。
説教強盗捕物帳。私が生まれる前、東京で、超有名だった強盗、妻木松吉。子供の頃話に聞いていました。

昭和4年指紋が証拠となって逮捕された時29歳。無期懲役になり、昭和22年憲法発布で仮出所を許され、保護司宅に住まわせてもらって、防犯の講演活動をして、老いては老人ホームで89歳まで生きたという風変わりな人物です。

彼の家系は非人として差別されていました。被差別部落民の中でも穢多とも違い、山梨だけにあった「野守」という家系でした。
母親が窃盗で3ヶ月収監されていた監獄内で生まれ、父親はすぐに病死。
母は彼を連れて「野守」の人と結婚、8人も弟妹が生まれて極貧生活。連れ子の彼は虐待されて育った。
小学校をでて奉公にゆき、盗みで捕まる。刑期を終えて上京左官職人に弟子入り、やがて独立。
結婚して子供も二人、そこへ昭和の大恐慌!
自身も胸を患って、仕事が出来ず、困窮します。

そこで始めたのが風変わりな強盗。
家に忍び込んで電話線を切り(電話があるなんて金持ちだけの時代)電源も切って懐中電灯を持ち、主人の枕元に座ってタバコをふかし、起こして金をせびる。金を奪っても、逃げるに都合の良い夜明けになるまで、主人に説教をする。「おたくの裏庭は暗いから泥棒は入り易い、犬を飼いなさい」などと、防犯上の注意を与えて、俺が出て行ったらすぐ警察に知らせると良い。電話線は切ってあるから、どこそこの交番まで行きなさい」と言って、朝の街に姿を消す。
こうやって4年間犯行を重ねたので、「説教強盗」とよばれて有名になった。
しかし指紋から足がついて逮捕されると、無期懲役の判決に控訴せず服役。刑務所では、稀に見る模範囚として18年間過ごし、文字を習ったり勉強もしたそうです。
昭和22年新憲法発布の恩赦で仮出所。担当弁護士が保護司を引き受けて、彼を自宅に住まわせてくれました。それからは方々に招かれては、防犯について講演をしたそうです。
老いてからは老人ホームで89歳まで生きたとのことです。

でも、彼が逮捕された時22歳の妻は4歳と2歳の子を抱えて・・・どうなってしまったか、どこにも記事がありません。彼は自分の妻子に対して一番ひどい被害を与えてしまったのですね。

それにしても、いわれなく差別された人々の生きにくさ、貧困から這い上がる術の無かった時代。

本当に、差別は悪だなあと思います。今もある様々な差別。昔の悪習を引きずっていないで、差別のない世の中にしなくちゃいけませんね。









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