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森のレストラン 

2011年01月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

昨年は、たくさんの良き友が出来た。標高1100mの浅間山麓で生活することを決めた移住民族たちは、当然のように変わり者が多い。自分もその一人なのだが、終日氷点下の気温の中で平気な顔をして生活を楽しめるのはなぜか。その疑問は、ここで生活をしてみないと分からない。
 
先日、一通のメールが届いた。ランチシェフを休業してこちらでランチを食べないか、という有難いお誘いだった。我が家の宇宙人に依存のあるはずはない。
私としてもたまにはお休みさせていただくのは大歓迎。こういう話しは即決で決まる。
 
ここは、我が家から約1.5km。徒歩でも行ける距離だが、雪道の森の中、「車で行きます」という宇宙からの声に従う。
ホテル1130よりも高い位置にあるので、多分標高1150mくらいだと思うが、我が家よりも積雪は多く、ドップリと雪の中だ。
 
到着すると、3匹のワンちゃんがけたたましく吠えてお出迎えしてくれた。
これは想定内の出来事で二人とも驚かない。
もう15年も前に建設されたというログハウスの入口ドアは、ワンちゃんが自由に出入りできる空間がある。ワンちゃん大好きのご夫妻は、まるで犬優先の生活を楽しんでいる変わり者の一組である。
 
室内は薪ストーブが燃えていてとても温かい。ワンちゃんの歓迎セレモニーは10分くらい覚悟するようにと聞かされていたが、一番小さいメグチャンはいつの間にか私の膝に座り込んでしまった。
カントリー風のテーブルに用意されたメニューは、写真の通りである。
小さな豆腐の中には豆が入っている豆豆腐。
 
今、読んでいる玉村豊男著「食卓は学校である」に、「いっしょ食い」というのがある。日本人は、たとえば佃煮や梅干しなどをおかずにご飯をたべるとき、まず、白いご飯を口の中に放り込み、それをまだ飲み込まないうちに、佃煮や梅干しを少しだけ口に入れる。そして、それらをいっしょに口の中で混ぜながら咀嚼する。そうすれば、単独で食べるには塩辛すぎる佃煮や梅干しは白いご飯と合わさることでちょうどよい塩分に中和され、単独で食べるにはやや塩味の足りない白いご飯は、佃煮や梅干しの塩分でちょうどよい「塩梅」(あんばい)に調整される。この食べ方を、「口内調味」と呼ぶ人もいるが、玉村氏は、これを「いっしょ食い」と呼ぶ。
 
この豆豆腐は、その意味では豆腐を口に放り込むと、豆腐と豆が口の中で混ざって豆腐も豆もその味が生かされる。豆と豆腐を別々に食べなくても「いっしょ食い」になる、という優れものだが、たかが豆腐されど豆腐である。
ちなみにこの「いっしょ食い」という食べ方は、日本人独特の高等技術であり、欧米人には真似のできないものらしい。
 
白い器に入った野菜には、二種類のドレッシングが用意されていたが、私は胡麻入りの方をいただいた。レンコンがとてもほどよい堅さで味も塩分控えめで美味しかった。
 
メインディッシュはエスニック風な料理で、これは食べたことのない味。なんとも驚くような美味しさだった。肉はいっさい使用していないこの料理は、ぜひ我が家のランチメニューにしたいと考えている。後日詳しくご教授いただくつもりである。ホークとスプーンに箸も用意されていて、私にとってはとても有難い配慮であった。お変わりもありますからと言われたが、ぐっと我慢を決め込んだ。しかし、その分は後でお土産となり、再び家で味わえることになる。
 
様々な会話を交えての食事は格別である。高い位置にある窓からは、透き通るような青空が見える。これなら夜は星のきらめきも楽しめるに違いない。
 
各家庭で作られる料理には、その家庭それぞれの味があるものだ。こうして時々他人様の料理をいただくという楽しみは、レストランなどでする食事とは全然違った味があり、とても楽しい。
私はここを、「森のレストラン」と命名した。
 
食後、ナイフ職人のご主人に依頼している制作途中のナイフを見せていただいた。近くに住む友人が注文したという少し大きめのナイフは、銃刀法違反になる大きさらしいが、自分で楽しむには問題ないという。
私のナイフはすべてお任せでお願いしているが、持ち手の部分はフランスクルミの木を使うと話されていた。
出来上がりが楽しみである。
 
終日氷点下の日が続いているが、そんなことはいっさい関係なく、ほのかに温かい日はゆっくりと暮れていった。そして、暖炉の炎を前に、新メニューとなるあのエスニック風な料理の味が口の中に湧いてきた。
 

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