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吾喰楽家の食卓

続 柳田格之進 

2016年03月01日 ナビトモブログ記事
テーマ:古典芸能

落語の『柳田格之進』で、娘は親を助けるために苦界に身を売る。
武家の名誉を、守るためである。
昨年の十二月に銀座風流寄席で観た、『文七元結』と似たような噺だ。
娘は苦界に身を売ることで、博打で借金を拵えた左官職人の父親を、改心させようとした。
武家と町人の差はあるが、親のために娘が犠牲になるというのは共通している。
当時、親孝行の鏡として、もてはやされたのであろうか。
ところが、同じ自己犠牲でも、両者に温度差を感じる。
云うまでもなく、落語は町人の間で流行った娯楽だ。
浪人とはいえ武士の格之進が、疑われることすら家の不名誉と考えたのを、町人は冷ややかに受け止めたかも知れない。
一方、『文七元結』は、江戸っ子の気っ風の良さと、命の尊さを教えてくれた。

娘を苦界に出した父親の対応に、冷たさを感じる。
格之進は、帰参の叶ったあとも、娘を吉原に置いたままだ。
浪人時代とは違い、財力なら充分にあるはずだ。
事情はともかく、一度苦界に身を置いた娘に関わることは、家名を汚すというのだろう。
だからこそ、あらかじめ絶縁したのだ。
この結末に、現代人は納得できるはずがない。
昭和になってのことらしいが、ハッピーエンドになるように後日談を付け加えた。
主人の源兵衛が格之進の娘を身請けし、番頭の徳兵衛と所帯を持たせたのだ。
そして、生まれた子供の一人を、柳田家へ養子に出し、「めでたし、めでたし」となった。

吉原に通い、馴染みになった花魁を身請けし、妾や側室にすることは解る。
もっとも、財力があるからこそ、できることだが。
しかし、堅気の男性が、苦界に身を置いた女性と結婚することに、抵抗はないのだろうか?
江戸は、女性の人口が極端に少なかったという。
遊郭の存在は、“必要悪”だったのだろう。
だから、我々が考えるほど、過去の経歴に拘らなかったのかも知れない。
『文七元結』では、一年後の大晦日までは、女将の身の回りの世話をさせ、店には出さないとの約束だった。
期日までに五十両を返せば、綺麗な身で吉原から出られる。
『柳田格之進』には、そのような約束はない。
しかし、吉原の遊郭で、武家の娘を、何の教育もせずに店に出すとは考えられない。
離れの座敷から、金子が行方不明になったのは月見の晩だ。
その年の大掃除で金子が見つかり、年明けに格之進と再会している。
事情を知った源兵衛は、直ぐに娘を身請けしたから、吉原に居たのは半年足らずだ。
だから、娘は店に出ていないのではと、推測していた。
先日の風流寄席で、鳳楽師匠の噺のあと、世話役の一人が「店に出ていないはずだ」と、云っていた。
その見解には、全面的に同感できる。

落語には、狭義の落語である滑稽噺と、原則、オチのない人情噺がある。
更に、芝居噺、怪談噺、音曲噺などもある。
滑稽噺に理屈は不要で、大いに笑えば、それでいいと思っている。
何度、同じ噺を聴いても、笑える。
演者による違いを、楽しんでもいい。
ところが、人情噺となると、少し違う。
今回、以前から気になっていた、遊廓について思うことを少し書いてみた。
遊廓は、私が小学校五年生のときに廃止された。
その後も、非合法の施設があるのは理解しているが、実態は知らない。
「落語は業の肯定」と、云った噺家がいた。
確かに廓噺には、人間の業がよく表れている。
とはいえ、如何なる理由があれ、美化してはいけない世界だ。

   *****

写真
2月28日(日)の昼餉(絶品パスタ)と夕餉(初鰹)



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SOYOKAZEさんへ

吾喰楽さん

度々、恐縮です。

師匠が、ご自身のサイトの3月号で、柳田格之進を扱っています。
さすが師匠ですよ。
噺だけでなく、場の雰囲気も良く分かります。

2016/03/01 10:19:01

度々ですが

さん

吾喰楽さんが、必要悪を肯定していない事はわかっていましたよ。
ただ、吉原を勉強していて、強い憤りを持っていたもので、吐き出させて頂きました。

2016/03/01 10:10:55

SOYOKAZEさんへ

吾喰楽さん

仰せの通りです。

“必要悪”と書いていますが、私はそれを肯定していません。
それが読み手の方に伝わっていないとすれば、私の筆力の拙さです。

2016/03/01 09:49:58

SOYOKAZEさんへ

吾喰楽さん

おはようございます。

さすが、姉弟子です。
鋭いご指摘です。
噺家も同じ疑問を感じたようです。
曖昧な記憶ですが、先代の圓楽だと思います。
その矛盾を、直しました。

源兵衛が身請けをしたとき、娘は重い病気を患っていました。
番頭が、罪滅ぼしでしょうか、必死に看病しました。
その甲斐があり、娘の病気は全快しました。
番頭の熱意にほだされ、二人は恋仲になったそうです。

2016/03/01 09:44:56

追伸

さん

歌舞伎や、小説、落語などでは、身売りで50両、100両など出て来ますが、実際はかなり条件が良くても12両で、数えで17歳から10年は年季で縛られていましたし、衣装代やその他が上乗せされるので、身請けはとんでもない高額だったし、自由の身になれる遊女は希少だったので、如何に、女性にとって過酷な場所であったかわかります。
必要悪と言って済ませない憤りが同じ女の私にはあります。

2016/03/01 09:36:57

遊女について

さん

おはようございます。

私も、格之進の娘はどうなったのだろう?と思っていました。
一人、可哀想過ぎると。
しかし、後日作られた話にも、少し無理があるような?
娘の方で、親に疑いをかけた番頭の元に嫁ぐ気にはなれないと思います。

それから、江戸の初期こそ男性に対して、女性が極端に少なかったのですが、中期には、ほぼ同数になっています。
そして、親孝行の為に遊女になった娘が年季が明けて元の世界に戻った時や、身請けされた場合にも、偏見がなかったそうです。
普通に、相手がいれば結婚しました。
但し、遊女の8割以上が性病や結核で亡くなるのが現状でもありました。

身売りした娘が店に出るのは、岡場所ならすぐですが、吉原で50両もの大金で買った所謂上玉は、半年くらいは、やりてや姉女郎について作法や言葉、床あしらいなどを学びます。
そして水揚げ(処女の場合、店のなじみ客が、初回の相手になります。多くの場合、手慣れた中年)その後店出しです。

以上は、創作上調べた知識です。

2016/03/01 09:30:52

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