メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

じいやんの日記

OB会 

2014年04月16日 ナビトモブログ記事
テーマ:日記

昭和42年頃から13年間ほど神戸で勤務していた仲間とOB会を開催した。
年齢層は60歳から70歳のじいさんの集まりです。
その時代は丁度、コンピューター化のスタート時代で最も華やかだったのが「花のパンチャー」と言われていた。
18歳から30歳位までの女性が、コンピューターにデーターを入力するための、カードや紙テープに穿孔する職場の事をそのように呼んでいた。
当社でも80名以上の若い女性がいましたが、直ぐに200や300名に増員されるような時代でした。
一方、私達男性の若者(当時)はコンピューター化の企画、プログラミング、操作を担当する職場でした。
そんな職場なので、社外の人との出会いより、社内の行事やレクレーションで若い男女が楽しんでいました。
社内行事の中心は、「部課対抗」で、春と秋に色んな種目で競技をしてました。
バレー、バスケット、テニス、サッカー、野球、卓球、テニポン(テニスと卓球の中間の様なもの)、バドミントン、剣道、空手、水泳(夏の大会)・・・本当に毎週のように色んな種目の大会が実施されました。
私達は若い人が中心の部なので、ほとんどの大会で優勝をするため、部課対抗部と言われていました。
私もほとんどの大会に参加したので、専門は運動部の様に言われました。
若い者がこぞって参加する理由は、交通費支給、食事代支給(時には女性の弁当差し入れ有)、商品が豪華?(石鹸、洗剤やタオル等は全て賄える)なので、こぞって選手に選出してもらう努力をした。
そんな時代のメンバーなので、昔の仕事の話より、「部課対抗」の昔話に花が咲きました。
時には自己紹介を兼ねて病気の話になりそうなのを引き留めながら、3時間の交流が終了しました。
当時の本社は、阪神淡路大震災によって崩壊し、一旦は立て替えたのですが、時代の流れで、本社機能を東京に移転したため、今では関東近辺に住居を構えています。
関西弁が抜けきれないのが時代を象徴しているようで、次回の10月開催を楽しみに…解散。
何時まで元気で宴会が出来るかな?
それ以前に、急に顔を合わせる機会が来ないように、元気で過ごしたいものです。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR





上部へ