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森の生活 

2013年12月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

太陽、風、雨、夏、冬――――こういった「自然」の筆舌につくしがたいけがれのなさと恵み深さが、永遠に大いなる健康と歓びを与えてくれる!彼らは人類に深い共感をいだいているので、だれかがもっともな理由で嘆き悲しむと、自然界のすべてがその感化を受けてしまい、太陽は輝きを失い、風は人間のようにため息をつき、雲は涙の雨を降らせ、森は真夏でも葉を脱ぎ捨てて喪服をまとうだろう。私は大地と理解しあえるのではあるまいか?私自身、からだの一部は葉っぱであり、植物の腐植土なのではあるまいか?人間をいつも元気に、晴れやかに、満ち足りた気分にさせてくれる妙薬とはなんだろう?それはわれわれのひいおじいさんがくれる薬ではなく、ひいおばあさんの「自然」がくれるよう、な、普遍的で植物的な野生種の薬である。この薬のおかげで、彼女はいつまでも若々しく、パー老人のようなむかしの長寿者たちよりも長生きしたのであり、彼らの朽ちてゆく脂肪分で自分の健康を養うことができたのだ。さて、私の愛用する万能薬について言えば、三途の川アケロンの水に死海の水をまぜあわせてつくったいかさま調合薬の瓶が、よくその運搬に使われている、細長くて底の浅い黒塗りのスクーナーそっくりの荷馬車のなかからものものしく取り出されたりしているが、私はああいったものには目もくれず、薄められていない朝の大気をいっぱい吸いこむことにしている。朝の大気!もしひとびとが一日の水源でこれを飲まないようなら、この世の朝の時間への予約入場券をなくしてしまったひとびとのために、われわれはぜひ瓶詰にして店で売ってやらなくてはならない。ただし、朝の大気はどんなに低温の地下室に入れておいても昼どきまではもたず、そのずっと前に栓を押しあけて暁の女神アウロラのあとを追い、西の方へ行ってしまうものだということを忘れないでほしい。あの年老いた薬草の神アスクレピオスの娘で、片手にヘビを、他方の手にときどきそのヘビに飲ませる薬液の入った盃を握った姿で記念碑などに刻まれている、健康の女神ヒュギエイアを、私は決して崇拝したりはしない。私が崇めるのは、ユピテルの盃を捧げもち、神々と人間に青春の活力をよみがえらせる力をもつ、ユノと野生の。レタスの娘、青春の女神ヘベである。彼女こそ、かつてこの地球上を歩んだ娘たちの中で、おそらく完全無欠な肉体と健康とたくましさをそなえた、ただひとりの娘であったろう。彼女があらわれると、いつでも春がやってきたのだ。
 
ソロー著「森の生活」の「孤独」にある一部を紹介したが、これは私が吸い込まれるように読み進んだ箇所である。気温が終日氷点下という真冬日が続いているが、ここでもすがすがしい朝の大気は何物にも代えがたい。ブルッと震える冷たさの小気味よさは、本州で最も気温の低い地であるここでなくては味わえない贅沢な気分なのだ。先日来二日ほど雪かきが続いたが、雪かきのスコップの音をしり目に、悠々と餌を食べるリスや、チイチイと歓びの歌を歌いながら飛び回る小鳥たちに囲まれて、ついこちらも鼻歌が出てくる始末だ。冷たい風の中では耳当てのついた帽子が活躍する。手首まですっぽりと隠れる手袋も寒冷地ならではの代物に違いない。マイナス30度も大丈夫という長靴に足も守られている。すっかり葉を落とした芸術品のような木々がうっそうと茂るなかで暮らす森の生活は、孤独という贅沢な喜びを与えてくれ、ソローも言っているように永遠に大いなる健康と歓びを与えてくれる。なんという素晴らしい人生か!寒い冬よありがとう!
 
 

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